みやざきのうたと芸能101ロゴ 飫肥泰平踊

 
●歌舞伎と盆踊り合体
 泰平踊は10月第3土・日曜日行われる飫肥城下祭りで披露される。
 この踊りは盆踊りで、飫肥藩主伊東氏が江戸中期、上方の「歌舞伎踊り」と地元の「盆踊り」を組み合わせ、それに柔術・弓術・相撲など武芸18般を織り込んだ踊りとされ、8月14日の盂蘭盆会(うらぼんえ)で町方で踊られていた。当時、武家方では「三京踊り」が、町方には「飫肥歌舞伎」「大奴・小奴」という芸能が流行していた。
 五代藩主伊東祐実は、1707(宝永4)年に武士が盆踊りに加わることを許した。その後、一時途絶えていたが、日露戦争の勝利を祝って復活し、現在に至っている。
 踊りは今町の「鶴組」、本町の「亀組」の各保存会で伝承されているが、衣装や芸態に幾分かの違いがみられる。
 装束は折編みがさを目深にかぶり、羽二重熨斗目(のしめ)の着流し。朱鞘(しゅざや)の落とし差しに印籠(いんろう)を腰に下げる。それに白足袋白緒の草履履きといった、だてな元禄武家姿である。
 「鶴組」はかさに蝶型の朱房を付け、紫の着物には、背に伊東家の家紋「庵木瓜(いおりもっこう)」を染め抜く。「亀組」は松葉型の朱房をかさに付け、灰色の着物に伊東家の裏紋「九曜(くよう)」を付ける。
 それぞれは鶴のように腰が高く動きの切れがよいので「鶴組」、腰が低く動きが柔らかということで「亀組」といわれるようになった。なお「亀組」には「奴」が加わる。
 三味線や太鼓、尺八の伴奏で唄(うた)が歌われ、20数人の踊り手が「出端」で入場し、「本歌」で円陣となり、優雅で荘重な踊りを繰り広げる。
 日南市風田には、新盆の家を回る盆踊りが伝承されている。踊り手は輪を作り、右回りに進みながら踊る。
 衣装は浴衣に市松模様の帯、それに編みがさをがぶり草履を履く。この盆踊りは、歌舞伎踊りや古い風流(ふりゅう)踊りの様式を残しているといわれ、泰平踊と共通する。
 千代のはじめのひと踊り 松坂越えたやサー ヤートセー
の歌い出しの一節は、泰平踊のそれと全く同じ。ほかの歌詞も共通する部分が多い。
 地元では、風田の盆踊りが、飫肥の城下へ伝わったと言っている。
前 田 博 仁
メモ
 日南市に隣接する南郷町谷之口に、「てひ踊り」という盆踊りが伝承されている。「てひ」とは地元の言葉で「太平」をいい、「泰平踊」との関連を暗示する。手振りは大きく切れが良い。足運びは男性的で、頭上にそろえた両手を、腰を落として開く所作は、泰平踊の奴踊りと似ている。問い合わせは日南市教委へ。





飫肥泰平踊の写真
時代を感じさせる
優雅な泰平踊


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