みやざきのうたと芸能101ロゴ 都農太鼓台

 
●勇ましい「競り合い」
 「ドンドコドン、ドンドコドン」
 「ちょうさいな、そらやれ、そらやれ」
 軽快な太鼓の響きと景気良い掛け声。
 これは都農神社夏祭りの花形である太鼓台の打ち手と担ぎ手の掛け合いである。
 同社は、かつて日向国一之宮で、夏祭りは8月1日と2日に行われる。
 神武天皇東遷の際、宮崎の宮を出発した一行が、この地で国土平定・海上安全・武運長久の鎮め祭りをしたことを創始としている。
 10世紀初めの「延喜式」神名帳には、日向国式内四座の一つとして記載されている。
 また、同社には神功(じんぐう)皇后が船上に祭神を祭ったという神輿(みこし)渡御の儀式があり、一時途絶えていたが、1832(天保3)年、高鍋藩主秋月種任(たねただ)によって再興、これが夏祭りとして継承されている。
 祭り初日の神幸は、大柴(しば)を持つサルタヒコが行列の露払いとして先導し、獅子舞や神輿、数台の太鼓台などが続く。行列は、町内を練り歩き、海岸まで破魔下りし、その後は北町の広場に一泊。翌日は町内を巡幸し、夕刻、神輿が宮入りする形をとる。
 太鼓台は、1871(明治4)年、都農神社が国弊大社となったことを祝い、当時、港町として栄えていた美々津の太鼓台を参考に北町で製作されたと伝えている。
 1873(明治6)年6月30日の『永友司日記』に「天気も宜しく、御浜出も賑々しく相い済み、太鼓台出候。」とあり、また、同35年8月2日には、若山牧水が「御神輿、だんじりなど出て、賑はわし…」と日記に記している。
 当町の太鼓台は、屋根が逆台形、黄・青・赤・白・紫の布団を積み上げた形で、さらに赤や桃色の切り花を飾った華麗な柳の枝を四隅に付ける。
 県内のほかの太鼓台には見られない特徴の一つである。
 太鼓台には、小・中学生男児が4人乗って太鼓を打ち、およそ100人の若者が担ぐ。
 2日目の夕方、神輿を町内に少しでもとどめようと、太鼓台が進路を妨げ神輿と競り合う。
 神輿の宮入り後は、太鼓台同士の「競り合い」となり、その様は勇壮である。
 このとき、商店街から神社までの道路は観客で満ちあふれ、勇ましい「競り合い」に、人々の興奮は最高潮となる。
前 田 博 仁
メモ
 県北部や高鍋町・新富町・西都市・佐土原町(ダンジリと呼ぶ)・国富町(ヨイマカという)にも太鼓台がある。佐土原の「ケンカダンジリ」は有名。各保存会は、いずれも江戸末期から明治初期に瀬戸内や上方から伝わったと言っている。問い合わせは都農町教委へ。





都農太鼓台の写真
華やかに飾り付けた
太鼓台が練り歩く
(都農町川北)


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