みやざきのうたと芸能101ロゴ 一の谷剣舞

 
●源平争乱物語の舞台
 「一の谷」とは、1751(宝暦元)年に初演された人形浄瑠璃「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の時代狂言を踊りにしたものである。ただし、地元では物語の原本が知られていないために、多少、内容に違いが見られる。
 物語の舞台は、1184(元暦元)年、源平争乱の中の一谷合戦である。源氏方の勇将熊谷次郎直実が平家方の武将平経盛の三男敦盛を播州須磨の浦において首を討ち取るまでの物語である。
 直実は、源義経の秘密指令を受け、敦盛を助けようとする。
 「君一人助けたとて、さほど源氏は汚れはすまい、はや、この場を落ち給え…」
 しかし、平山武者所に見とがめられ、敦盛の首を討ち取ることとなる。
 「君の御手にかかって死すれば、この身は本望、はや首討たれや、熊谷殿!」
 首を討つところで物語は終わり、詩吟が歌われ、しめの唄(うた)が涙を誘う。
 踊りの衣装は、武者風の衣装と子供風の衣装に分かれ、ともに鉢巻き、たすき、手甲、脚半、袴、足袋、草鞋(ぞうり)の姿で、太刀、扇子を持つ。
 16人の踊り子が2列に分かれ、太鼓と拍子木に合わせて唄に乗って勇壮に踊る。唄と唄の合間に口上が入り、熊谷と敦盛のせりふが交わされる。最後には、詩吟も高唱される。
 昭和初期ころ、西米良村村所で盛んに行われていた芸能を、当時、綾営林署綾北製品事業所に勤務していた中竹末男により、田代八重在住の久保田利美ら若者たちに伝えられた。山の神祭や運動会など集落や村の行事で踊られていた。
 昭和48年の集落移転により、後継者の多くが麓地区に移ったが、麓には伝統芸能のようなものがなかったため、やがて麗地区の住民とともに踊られるようになった。
 現在では保存会も結成され、村の依頼を受けて20日間ほどの練習で披露する。11月のホゼ(豊祭)など地域の祭りで上演され、平成11年のグリーン博みやざきでも披露された。
渡 辺 一 弘
メモ
 西米良村には、戦前までこの剣舞をはじめ、団七踊りなどの多くの芸能が活発に伝承されていたが、戦後途絶えてしまった。伝えられた須木村に現在命脈を保っている。中央の歌舞伎ではあまり演じられることのないこの外題であるが、日之影町の大人(おおひと)歌舞伎では今も上演され、注目されている。こうした点からも貴重な無形民俗文化財といえよう。問い合わせは須木村教委へ。





一の谷剣舞の写真
男性が直実に、女性が敦盛に
扮(ふん)して、
扇と剣で舞う


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