みやざきのうたと芸能101ロゴ 刈干切唄

 
●男性的で風土色濃く
 「刈干切唄」は秋山の草刈りで歌われる、男性的で風土色の濃い、仕事唄(うた)である。
 阿蘇連山が、その稜(りょう)線を際立たせる秋の半ば、期間にして9月下旬から10月上旬にかけ、高千穂地方や五ヶ瀬地方では、山の斜面に密生した雑草を刈り取る農作業が行われる。
 これは春の山焼きとともに、古くからの季節の行事で、家族ぐるみで出掛けるのがならわしとなっているが、結(ゆい)の形を守っている地区もある。まだ青さの残るマカヤ(ススキ)などを、背丈を越す大鎌(がま)で払い刈り、天日で乾燥させ蓄える。この一連の作業を刈り干しと呼んでいる。干し草は冬場の家畜の飼料として使われる。そうした山で働く男たちの伴奏歌として、またのど比べとして歌い競われたのが「刈干切唄」である。名人と言われた故佐藤明は、「山では夜明けとともに歌声が上がり、あちらの谷こちらの谷と、一日中絶えることが無かった」と当時を振り返っている。もちろん自分の居場所を家族に知らせるためや、歌垣としても歌われている。
 土の香りを漂わせた素朴で大らかな節調と、明るく力強い歌唱は、こうした暮らしの背景から生まれてきている。
 刈り干しの作業は所によって異なり、それが節づくりにも、少なからず影響を与えている。
 五ヶ瀬地方の山で使用される鎌は、柄の長さが50センチほどで、片手で自由に扱える大きさ。その際の仕事唄は、小節を押さえた軽快なテンポで、一節がおよそ30秒前後。
 これに対し高千穂地方では、背丈を越す大鎌を使用し、倍の長さで朗々と歌い上げる。
 この相違は使用する鎌の柄の長短にあり、それを手にして左右に振るう振幅が、テンポの基になっていると推測される。
 地元で生まれ育った民謡「刈干切唄」には、山の刈り干しと呼ばれる、陽旋律のものと、昭和15年に普及版として補作された、陰旋律のお座敷調のものとがあるが、どちらも全国区の民謡として愛唱されている。
 ここの山の刈干しゃ すんだよ
     明日は田んぼで、稲刈ろかよ
 最早日暮れじゃ迫々 かげるよ
     駒よいぬるぞ 馬草負えよ
 肝心の刈り干し風景はかつての姿を変えつつあるが、山の叙情をたたえたこの唄は、これからも歌い継がれて行くことだろう。
原田 解
メモ
 一谷一節と言われるように「明節」の佐藤明、「団一郎節」の押方団一郎ほか、佐藤実太郎、小迫福三郎、原田実之進など、優れた歌い手が個性ある歌唱を残している。レコードの初吹き込みは昭和15年。長友勝美(宮崎市役所)と、山内敏子(宮崎交通)が、ビクター本社で行った。この「長友節」が戦後の「奈須節」につながって行く。また毎年晩秋に、「正調刈干切唄全国大会」が聞かれている。





刈干切風景の写真
国見ヶ丘で刈り干しをする
佐藤明


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