みやざきのうたと芸能101ロゴ 安久節

 
●テンポの良い座興唄
 今から70年ほど前の1929(昭和4)年6月、NHK熊本中央放送局の開局一周年記念番組として、九州各県の民謡が紹介され、宮崎県から「安久節」が晴れの電波に乗った。
 当日のプログラムには、「日向俚謡(りよう)・安久節=宮崎県北諸県郡中郷村安久。(唄)隅清純、東口あい(調子)戸高すえげさ(太鼓)谷口秀之(三味線)橋口わさ」とある。
 これを見ても、当時からこの唄(うた)がよく歌われていたこと、そしてその主な伝承地が中郷村だったことが読み取れる。曲名については地名にちなんだもの、あるいははやし言葉から来たものなど、諸説がある。
 安久節は太鼓、三味線にはやしが加わり、にぎやかに歌いはやされる座興唄で、霧島山ろくから県南にかけて分布している。
 一帯がかつての島津領だったため、言葉も習俗も歌謡も薩摩風で、とりわけ上下動が激しく、間合いを詰めてテンポ良く歌う独特の歌唱法は、聞く者の心を高揚させ、場を楽しく盛り上げる。
 1609(慶長14)年、藩主島津家久の命により、支藩である安久武士たちは、琉球出兵に参加することになった。ところが山川港を出発しての船路は長く、盆地育ちの男たちは、日ごとに元気を失っていった。その無聊(ぶりょう)を慰め士気を鼓舞するために歌い出されたのがこの唄、との由来がある。
 安久武士なら尻たこつぶれ 前は牟田々で 深うござる
 安久武士なら枕はいらぬ 互い違いの腕まくら
 晴れの席や飲み座などで披露されることの多い安久節は、長唄や祝い唄の後の座くずしとして、普段歌われている。
 客送りに通じるところから、「打立ち唄」とも呼ばれ、戦時中には出征兵士を見送る道中でも歌われた。これは祖霊送りや虫追いの習俗とも深いかかわり合いを持ち、同系の旋律を、「綾田の草取り唄」などの仕事唄や、盆踊り唄に見ることができる。民謡研究家の町田嘉章は「日本民謡集」の中で、「オハラ節」の原調はいかにも野生的できびきびしたもの。日向の「安久節」が鹿児島郊外の伊敷村原良に入って、「原良節」の名ではやり、やがて小の字が付き「鹿児島小原節」となったと述べている。興味深いルーツ説である。安久節は風土の気性を映した、楽しく弾んだ民謡である。
原田 解
メモ
 「安久節」の伴奏によく使われる伝統の民俗楽器に、「ゴッタン」がある。杉板などを材料にして作られた小型の三味線で、「箱三味線」とか「板三味線」などと呼ばれ、素朴でひなびた音色は風土の味わいを紡ぎ出して温かい。現在も山之口町で製作されている。





安久温泉の写真
かつての中郷村の
安久温泉は、
唄のふるさと


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