みやざきのうたと芸能101ロゴ 榎原まいり

 
●みやびな味わい持つ
 南郷村の榎原神社は、縁結びや牛馬の神様としてよく知られている。老杉を巡らす朱塗りの社殿は、1658(万治元)年に、飫肥藩主伊東祐久が創建。鵜戸神宮の分霊を祀(まつ)った。神社とゆかりの深い、寿法院こと内田満寿子は、1620(元和6)年の生まれ。21歳の時鵜戸神宮に参籠(さんろう)し、神のお告げを受けたと、神気を示し予言を行ったため、やがて神女として崇敬されるようになる。信者が増えるに従って、飫肥藩でもこれを手厚く保護、名は西日本一帯に広まった。
 榎原参りは春三月よ 参るその日がご縁日ヨイヤナー
 これなお家はめでたいお家 鶴と亀とが舞い遊ぶヨイヤナー
 寿法院は51歳で他界。その命日である3月16日が、例大祭日となっている。霊験あらたかとあって、かつては縁結びや豊作を願う若い男女や飾り付けた牛馬などが近郷近在から押しかけ、参道は終日ごった返したという。恐らくまたと無い出会いの場だったからだろう。とりわけ宮崎地方からは、農閑期を利用した新婚夫婦が日数をかけて山路をたどり、この風習は明治の末まで続いた。「榎原まいり」は、その様子を歌った民謡。ゆったりした節調で、みやびな味わいを持っている。
 名所名所よ榎原さんは名所 馬場は縦馬場桜馬場ヨイヤナー
 榎原参りを知らん奴は野暮よ 野暮も野暮かよ こりゃ笹やぼよヨイヤナー
 こちらは太鼓が加わった早調子の古節で、祭り気分があふれている。これらの唄(うた)は「よいやな節」の流れをくむ祝い唄で、県内広く分布している。「よいやな節」は江戸時代に上方で流行した三味線唄で、これが瀬戸内海を通じて運ばれ、周辺に普及した。他に愛媛から大分の玖珠に所替えになった、来島水軍の船唄との説がある。それを裏付けるように、地元には200を超える「よいやな節」が残されている。
 いずれにしてもそれらが高千穂地方に移入され、次第に南下して行ったものと思われる。
 春の訪れを告げる榎原神社の例大祭は、今もにぎわいを見せているが、肝心の歌い手の方は、心もとない状況に置かれている。神女物語を秘めた、由緒ある民謡だけに、何とか歌い残して欲しいものである。
原田 解
メモ
 宮崎地方からの榎原まいりは、4泊から5泊の日程で、旧飫肥街道が利用された。もちろん徒歩旅行である。やがてこれが、往還の整備や日程の都合から、「鵜戸まいり」へと移り変わり、大正の初期まで続けられる。牛馬を飾り付ける風習や、歌われる民謡の歌詞に「シャンシャン馬道中唄」との共通点が見いだせ、興味深い。寿法院は榎原神社の境内にある、桜井神社に祀られている。





榎原神社の写真
神女の物語を秘めた
縁結びの榎原神社


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