●沖合漁の活気を想像
串間市の宮之浦は、沖合漁の基地として栄えてきた港町である。大正の終わりころから戦後しばらくまで、定置網によるブリ漁が盛んで、大量の寒ブリが毎日のように水揚げされ、それによって大金を手にした船主の話が、今もなお語り継がれている。その漁場での作業唄(うた)が「宮之浦網引き唄」である。
ヒンヨィショ
ヒンヨィショ
この太鼓叩けば 雨が降らっさ どうでもこの太鼓 雨太鼓らっさ 太鼓打たせりゃ
姉よか妹 所帯持たせりゃ 姉が良かっさ 姉はなんば病みで 妹は孕む
母は継母父が世話っさ 世話じゃと思うな 難儀じゃとはやせ
世話じゃと思えば 年が寄らっさ 年は取っても まだ気はわらべ…
歌詞からも分かるように、物語性を持つ、県内では珍しい、海の民謡である。
船に乗り込み漁場に向かった船子は、一隻あたり15人前後。彼らは夜を徹して網を手繰り、ブリを引き揚げた。
休む暇のない厳しい立ち仕事なので、その疲れや眠気を払い、手をそろえるために、音頭取りに合わせ、全員が大声で輪唱した。沖合漁の活気を想像させる、男性的な歌声である。
地元の古老の話によれば、歌詞の中の雨太鼓は巡業芝居の触れ太鼓を指し、それが雨を呼んでくれなければ、芝居見物に行かれないということ。また姉妹の病気や不始末については、あまり難儀じゃと気にしなさんな、網引きの方がよほど難儀だよ、との意だとか。ただし真偽のほどは定かではない。
孫子よ手を引け 出て踊らっさ 踊りは音頭から 雪駄は緒から
殿方化粧でも殿女がいるらっさ
今年やこれぎりまた来年は どこのはんず(水がめ)を 飲むのやらっさ…
県内の民謡の中で、旋律的にもユニークな「宮之浦網引き唄」の伝播(でんぱ)について、四国や大分や甑島などからの、季節労働者が持ち込んだもの、との説があるが、上方の盆踊り口説きとのかかわりも、十分考えられる。
かつて漁港をにぎわした寒ブリの群れも遠のき、また漁業も次々と近代化され、手仕事に頼った時代とともに、こうした民謡も思い出の中に埋没しようとしている。何とか唄の灯を守ってほしいものだ。
原田 解
「宮之浦網引き唄」の鑑賞音源としては、日本放送協会編「日本民謡大観」のCDアルバムの中に、昭和36年の収録曲が、またMRT宮崎放送編の「宮崎の旋律を訪ねて」のCDアルバムの中にも、平成2年の収録曲が入っている。現地録音ならではの貴重な歌唱である。漁業の有りようも大きく変わり、かつて船に乗っていた地元保存会の歌い手も、数少なくなってきている。
寒ブリ漁でにぎわった
宮之浦漁港
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