みやざきのうたと芸能101ロゴ 鶴賀新内

 
●劇場音楽として発達
 霧島山と宮崎平野を結ぶ大淀川のほば中ほどに位置する高岡町は、かつての島津領で、尚武の気風に富み、歌舞音曲を愛する薩摩ぶりは、今も暮らしの中に色濃く残っている。民俗芸能の世界もまたその影響を受け、個性ある文化圏を形成している。
 とりわけ注目されるのが、貴重な町の文化財に指定されている「鶴賀新内」である。
 この鶴賀新内は、享保年間(1716〜36)に江戸の人気をさらった「豊後節」から分かれ、鶴賀太夫(つるがだゆう)によって創始された、江戸浄瑠璃の一流である。
 そして宝暦年間(1751〜64)に至り、常磐津などの劇場音楽や、遊里における座敷浄瑠璃として発達し、艶麗(えんれい)で清腕な曲節と、魅力に富んだ物語で、全国に広まっていく。
 県内にも歌舞伎や人形芝居を通じて上方から持ち込まれ、親しまれてきたが、いつしか衰退の途をたどり、現在これを語れるのは、高岡町の鳥越フミ子さんのみ、という状況にある。
 高岡町には明治から大正にかけ、鶴賀新内を伝える芸人が住み、その流れをくむ横山クニエ師から手ほどきを受け、習得したものである。
 1920(大正9)年、同町に生まれた彼女は、子供のころに事故で光を失い、芸の道に進むようになる。そして三味線の演奏や歌唱に努力を傾け、独自の音楽世界を創出し、今日に至っている。
 「明烏・あけがらす」「傾城阿波の鳴門・けいせいあわのなると」「出世景清・しゅっせかげきよ」ほか、10数曲の鶴賀新内に、「高岡六調子」「高岡はんや節」などの郷土民謡を含め、レパートリーも幅広い。
 ひとつ出しましょ はばかりながら ごめん下され お客さま
 わしとお前はみかんの接ぎ木 末はなるやらならぬやら
 「高岡じょっさい」も同じ座興唄(うた)だが、「巡礼おつる」や「おしゅん伝兵衛」といった、新内を歌い込んでいるところが、ほかにない魅力で、「口説きじょうさ流し」とも呼ばれている。
 鶴賀新内の数少ない伝承者であり、また地元民謡の歌い手でもある彼女の、張りのある声と優れた表現力は、聞く者の心をとらえて離さない。こうした暮らしの文化財を、大切に守っていきたいものだ。
原田 解
メモ
 方言や習俗に薩摩ぶりを残す高岡町は、かつての屋敷跡や通りの石垣などに、旧藩時代をしのぶことができる。風土色の濃い民謡だけでなく、去川地区の「奴踊」、上倉永地区の「俵踊」、高浜地区の「小臼太鼓踊」など、多彩な芸能が踊り唄とともに伝承されている。





屋敷通りの写真
薩摩時代の面影をとどめる
屋敷通り


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