みやざきのうたと芸能101ロゴ 北郷木挽唄

 
●奥山の暮らし淡々と
 縁の国と言われるように、本県は山の幸が豊かで、江戸時代には既に、細島、赤江、油津などの港を通じ、山林資源が上方へと送り出されている。
 それに伴う職人や商人や芸人たちの往来も盛んで、彼らによって各地の芸能が運ばれてきている。
 ヤーレ山で子が泣く 山師の子じゃろ他に泣く子があるじゃなし
  アー チートコパートコ (以下略)
 ヤーレ山師さんたちゃ山から山へ 花の都にゃ縁が無い
 ヤーレ鋸よ下がれよ 墨づて下がれ おれとお前の金もうけよ
 「日向木挽唄」の源流とも言われる北郷地方の木挽唄(こびきうた)である。あじさい色の空を節調に写し取った、明るく伸びやかな仕事唄である。鳥の声を模したはやし言葉が、山の雰囲気をいっそう醸し出す。
 かつてこの地を治めた飫肥藩が植林を奨励したため、林業は地域の大切な産業となり、人々の暮らしを潤して来た。しかし現在は社会環境の変化などで、全国的に停滞の傾向にある。
 現場での作業は危険を伴うため、当時は「元山師」「削り山師」「出し山師」、それに「木挽」といった具合に、各自の分担と責任が決められ、きっちり守られていた。
 唄の主人公である木挽きは、山から集材所にひき出された木材を板に挽き割る仕事を専ら手掛けていた。時には山師とともに、長期間山中に泊まり込むこともあった。
 日がな一日の単調で辛い仕事の疲れをいやし、のこ挽く手の調子を取り、またダレヤミの慰みとしてこの唄を歌ったと、体験者は語っている。歌詞を見ても、暮らしの願望や仕事への自負、男女の情愛に関したものが多い。
 ヤーレ山師する身と空とぶ鳥は どこのいずくで果てるやら
 山林技術者である彼らは明治から大正にかけ、和歌山、三重、高知、広島などから、日向にやってきている。まさに山から山へである。各地に類歌が多いのもそのためだろう。また旋律型が似ていることから、広島県の民謡「音戸の舟唄」をルーツとする説もある。
 ひなびた味で、奥山の暮らしを淡々と歌う「北郷木挽唄」だが、昭和40年ごろから、高音を生かした華やかな「日向木挽唄」に衣替えし、全国区の民謡として、舞台やコンクールなどで愛唱されている。
原田 解
メモ
 県内にはこのほか「高千穂木挽唄」「北川木挽唄」「東郷木挽唄」といった同根異色の木挽唄が各地に歌い伝えられている。「サラカネ サラカネ」「シャラン シャラン」など、はやし言葉も多彩である。また県南では山入りの際、「大賀唄(おがうた)」を歌い納める風習がある。





杉の植林の写真
美しい幾何学模様を描く
杉の植林


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