みやざきのうたと芸能101ロゴ じょうさ節

 
●港町の活気を伝える
 大淀川の河口に位置する赤江城ヶ崎は、上方交易の玄関口として、かつて栄えた港町である。千石船の帆柱が林立し、荷を積み替えた小舟が、威勢よく上流へと向かう風景が、昭和の初めころまで見られた。当時の面影を白壁の土蔵や格子窓に残す通りには、船問屋をはじめ、陶器屋、酒屋、小間物屋などが軒を連ね、商人や旅人や遊客たちで、日がな一日活気を呈したという。
 赤江城ヶ崎や撞木の町よ 鐘がなければ通られぬ
 一に玄海、二で遠江(とうとうみ)、三で日向の赤江灘
 港町のにぎわいぶりを歌い込んだ「じょうさ節」は、明るく弾んださわぎ唄(うた)である。隣り合う中村今町の妓楼(ぎろう)で大いにはやったことから、「中村節」とも呼ばれている。
 中村女郎衆は尾のない狐 人をだまして金を取る
 旧藩時代、城ヶ崎は飫肥藩に属していたが、物資の集散や海上交通の中心地だったため、ほかからの入り込みも多く、当然ながら花街は繁盛し、こんな戯れ唄も生まれた。「じょうさ節」はそれらの人々により、大淀の流れに乗って運ばれ、高岡地方の「高岡じょっさい」や、都城地方の「中村節」、さらに大隅地方の「ずいや節」にと、それぞれ衣替えしている。
 じょうさじょうさはどこでも流行る わけて延岡なお流行る
 このさわぎ唄は、延岡地方の酒席でも歌われている。ただし歌詞は愛媛県越智郡の「大漁唄」と同じ。また大分県や長崎県の海岸部にも、同名の民謡が伝承されている。恐らく港から港へと、受け渡されていったものだろう。
 「じょうさ節」は江戸時代のはやり唄とされているが、島根県の民謡である「安来節」を源流とする説も結構多い。
 郷土の音楽家・園山民平氏は、「日向民謡101曲集」の中で、「この唄は県内各地で歌われているが、何となく安来節に似通った点がある。もちろん旋律は多少違っているが、従来からの宮崎県民謡とは、気分的にずいぶん変わっている。やはり安来節がいつの間にか、こういう姿に変わったのではあるまいか」そう述べている。氏が出雲出身だけに興味深い。
 港町の活気を今に伝える「じょうさ節」は、観光の伸展を願う宮崎市にとって、格好のテーマソングと言えそうである。
原田 解
メモ
 軽快なテンポで、明るく弾んで歌われる「じょうさ節」は、踊りにも持ってこいの、いわゆる乗りの良い民謡で、毎年春に行われる市民総参加の「宮崎ふるさとまつり」では、この曲に合わせて、華やかな踊りのパレードが繰り広げられる。県民謡界の育ての親であり、また優れた歌い手であった奈須美静氏の代表的な歌唱が、各レコード会社のアルバムに収められている。





昭和30年代の城ヶ崎の町並みの写真
昭和30年代の
城ヶ崎の町並


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