みやざきのうたと芸能101ロゴ 「日向小唄」「祖国日向」

 
●博覧会を内外に宣伝
 「日向小唄」と「祖国日向」は、戦前を代表する新民謡である。
 1933(昭和8)年春、宮崎市の大淀川河川敷で、置県50周年を記念した県内初の博覧会「祖国日向産業博覧会」が聞かれた。不景気風のあおりで沈滞している産業界を活性化させ、県民に明るい話題を提供して夢と希望を持たせようと、官民一体で取り組んだイベントである。
 この博覧会を内外に宣伝し盛り上げるため、キャンペーン・ソングとして、新民謡2曲が制作され、レコードに吹き込まれた。
 ヨィショ、ヨィショナ おらが高千穂 ここから射した 日本夜明けの日の光
  テサテ日の光 日の光 サテモションガエー
 ヨィショ ヨィショナ 雪が降るのに桜が見える あれはお国か日向灘
  テサテ日向灘 日向灘サテモションガエー
その一曲「日向小唄」は、県内の観光地を巡る軽快な小唄音頭で、作詞が西条八十、作曲が中山晋平という、当時のゴールデン・コンビ。しかも歌い手に「島の娘」で人気上昇中の小唄・勝太郎を起用するとあって、発売前からたいへんな話題を呼んだ。
 神の高千穂 光の岩戸 沖の黒潮天まで洗う 日向よい国 日本の祖国
  意気とまた男の住むところ ヨイノヨイトコ ドッコイセ ドッコイセトコ ドッコイセ
  (以下略)
 浮かぶ青島 びろう樹のかげで とろり見ましょか異国の夢を 南風吹きゃ海原ながめ
  日向乙女の目も燃える
 同じコンビが手がけた「祖国日向」も、日本調の楽しい踊り唄(うた)である。
 こうした宣伝が功を奏してか、博覧会には1道2府33県をはじめ、海外からも多くのテナントが参加し、45日に及ぶ期間中に予想を上回る23万人の入場者があり、成功裏に幕を閉じる。
 キャンペーン・ソングは、会場内はもとより市内の商店街でも流され、とりわけ宮崎交通の観光バスガイドが、PRに一役買って好評を博した。
 博覧会を機に誕生した新民謡2曲は、戦火の拡大とともに、やがて軍歌に取って代わられる。その良き時代を知る人にとっては、ぜひとも復刻してほしい懐かしのメロディーではないだろうか。
原田 解
メモ
 昭和8年3月21日付の地元紙「宮崎時事新聞」には、「即日売り切れの物凄い反響」の見出しで、2曲を吹き込んだレコードを宮崎市で発売せしところ、第一日分100枚が飛ぶように売り切れたと伝えている。人気のほどがうかがえる。ちなみにこの企画は同社の創業記念行事でもあった。





当時の博覧会会場写真
当時の博覧会会場


目次へ 72 シャンシャン馬道中唄のページへ
74 いもがらぼくとのページへ