みやざきのうたと芸能101ロゴ 諸塚駄賃つけ唄

 
●隊列整え疲れも癒す
 今でこそほとんどの道路が整備され、車の性能も向上して、山間部の交通は便利になり、流通もスピードアップしてきた。しかし戦後しばらくまでは、生産物などを輸送する場合、一部のトラック便を除き、ほとんどを人や馬の背、あるいは川舟などに頼っていた。またこれを専業や副業とする人もいた。諸塚や椎葉地方の「駄賃つけ」がそれである。
 「駄賃つけ」とは、カジ皮やシイタケや山茶といった林産物を牛馬の背に積み、峠を越えて熊本や延岡の市場に運び、戻りにも酒や塩や衣類などを乗せて双方から駄賃をもらう、いわば村の宅急使である。
 「諸塚駄賃つけ唄」はその道中で歌われた、馬子唄(うた)風ののどかな仕事唄である。
 ひとりこの山 淋しゅて越すが 鳴いて聞かせよ ほととぎす ホーイ ホイ
 登りゃ中小屋 下れば家代 登りかけたぞこの坂を ホーイ ホイ
 肥後に行こうか 延岡に越そか どちら向いても 山ばかり ホーイ ホイ
 木炭や山茶やシイタケの生産が盛んだった諸塚村では、戦前の全盛期には100人近い駄賃つけがいたという。彼らは山の幸を積んだ馬の手綱を取り、飯干峠や小原井峠を越え馬見原(まみはら)に、九左衛門峠を越えて川水流(かわずる)にと通った。とりわけ現在の六峰街道は、行商人や駄賃つけの往来が多かった。
 歌詞に出てくる北郷村の中小屋は、川水流とのほぼ中ほどに位置し、双方から上って来た駄賃つけがお互いの荷を積み替え、一服する休息所にもなっていた。
 毎日40頭から50頭もの馬がつながれていたと関係者は語っている。
 峠で日の出を眺め、星空を仰いで家路をたどるという厳しい仕事の伴奏歌だが、節調にかげりがなく伸びやかなのは、九州山地の軽快な草刈り唄と同根だからだろう。音楽的にも古い音組織を持つ民謡である。
 隣接する椎葉村も駄賃つけが盛んで、節季には村人たちが連れだって峠を越え、馬見原や古屋敷に通った。こうした駄賃つけたちは、霧や雨で視界が閉ざされた折、足場の危険や自分の居る場所を知らせ、また隊列を整え疲れを癒(いや)すために、この唄を道中で歌った。素晴らしい暮らしの知恵である。
原田 解
メモ
 片山謙二著「諸塚の民謡」によれば、明治末期の駄賃つけの料金は、諸塚の家代から中小屋まで、カジ皮10貫につき50銭(当時米1升の値段が18銭)とある。また延岡方面からは、魚の干物やコンブや塩といった海産物に、酒、陶器類が川水流経由で運ばれて来ている。





中小屋の写真
駄賃つけでにぎわった
中小屋


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