●漁師の家族の絆描く
─カツオの群れを発見。ただちに出港せよ。
仲間の船からの無線連絡だ。船は積み込みに大忙し。船員や家族がコマネズミのように走り回っている。午後4時、学校を終えた健は急いで港に駆けつけた。ドック入りして新しく塗り替えられた船は真っ白な船体を青い海に浮かべている。「父さーん、やっと間に合った」
「おお、健か。今年こそお前の運動会が見られると思うとったのになあ」
健は6年生になるまで父さんに運動会を見てもらったことがない。「健、鼓笛バンドの方はどうなんだ?」「うん、今最後の仕上げがあったけど、みんなうまくなったよ」健は鼓笛バンドの指揮者、入場行進の先頭に立つ。「先生がね、帰る前にみんなを褒めてくれたよ」
「そりゃあよかった」
いつの間にか、母さんと妹の節子もそばに立っていた。
「まあ、健、背が伸びたねえ、並んで立ってると父ちゃんと同じくらいよ」
「でも足は兄ちゃんの方が長いよ」体の弱い節子が甘ったれた声で言った。「母さんや節子のこと頼んだよ」父さんは健の肩をぽんとたたくと、力強い足取りで渡し板を渡って行った。その時、父さんの油の匂(にお)いがプンと健の顔にふりかかった。
─父さんの匂いだ。小さいころこの匂いがいやだった。父さんの体にしみ込んでいるのだ。だけど大きくなるにつれてこの匂いがいやでなくなった。それどころか今ではとても懐かしい。油の匂いをかぐだけで父さんのことを思い出す。やがて船は渡し板をはずし、とも綱を解いた。エンジンの音が一段と高まり、家族の見守る中を船は緩やかに港を離れ、洋上へ向かった。
お前の父さん行ったよ ねんね 波をけたてて 目井津をあとに
目井津の人たちは、このような別れを何十回となく繰り返してきた。
─母さんや節子のことを頼むぞ。父さんがあんなことを言ったのは初めてだった。健は急に熱いものがこみ上げてきて、何だか急に大人になったような気がした。健は自転車のペダルを強く踏み込むと、思わず歌っていた。
お前の寝顔にほほよせて ねじり鉢巻き船の上 ソーレよい子だ ねんねしな
高橋 政秋
同僚岩下銕太郎氏とで作ったこの歌の広がりは速かった。子供たちが家に持ち帰ったのである。─目井津の子守歌を聞かせてみよ、帰港した船員たちが音楽室を訪れた。3年目、町はレコードにし、NHKは全国放送に乗せた。平成9年のこと、あの時のテレビを見たのでという3人連れの未知の男性の訪問を受けた。神奈川からの車旅行のついでだということであった。親と子の情愛、そして絆(きずな)、やはり歌の永遠のテーマなのであろうか。
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