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概説
 
 古老の話である。
 ―わしらは歌という言葉は使わなかった。だから「歌を歌おや」と言ったことはない。単に「言う」とか、「あれを言おかい」などと、言っていた、というのである。

 だが、その実「こんなことを言っていましたなあ」と古老の□から出てくるのは、どれもがまぎれもなく旋律を持ったわらべ歌なのである。

 つまり古老たちにとっては歌としては意識されていないところに、実はわらべ歌の本領があるのかも知れない。

 次にわらべ歌の分類であるが、現在次のような分類法が採られている。
 1遊び始めの歌 2手まり歌 3羽根突き・お手玉歌 4手遊び歌 5鬼遊び歌 6縄跳び歌・ゴム跳び歌 7外遊び歌 8自然の歌 9動物・植物の歌 10歳事歌 11ことば遊び歌 12子守歌

 本県のわらべ歌をこの分類に振り分けてみると、いずれの項目にも教多くの歌が並ぶ。こうしてみると、子供たちにとっては、まさに遊びが歌であり、歌が遊びをつくり上げていた、という状況が浮かび上がってくる。そして遊びはもちろんのこと、日常生活そのものが歌で(音律で)成り立っていた感じがするのである。

 このように、いつでもどこでも子供たちの遊び集団の中に存在していたわらべ歌であるが、それはまた、その遊び集団を形作るメンバーを、さまざまな形で規制する役割をも合わせ持っていたようである。そしてそこで歌われるわらべ歌は、子供たちが種々遭遇するさまざまな場面や事物に対応するための、いわば意識下、無意識下の学びの歌ともなっていたのではないか。つまり自分たちの”子供世界を生きて行く術を教える”という、手引書的な役割を、わらべ歌は果たしていたことがうかがえるのである。

 かつて教職にあった頃、このわらべ歌の世界を簡単な劇にし、上演させていた。すると子供たちは与えられた役割にすっかり同化してしまい、どこまでが劇でどこまでが遊びだか、本人たちも区別がつかぬ程に楽しんでおり、加えて観る側も舞台の遊びにすっかり誘い込まれていた。

 ところで本県のわらべ歌採集は園山民平著「日向民謡・101曲集」に始まるが(内わらべ歌は8曲)、その後の採集活動によっておよそ800曲程(類歌を含めて)が採集されている。

 次に本県のわらべ歌の特徴として数の多さに加えて、優れた子守歌の伝承がある。子守歌は、その歌の内容や歌い手の立場などから考えて、次の3つに分類できると思う。

 1寝させ歌 赤ん坊を眠らせる時の歌、つまり子守歌本来の歌
 2遊ばせ歌 眠らせるよりむしろ目覚めさせておき、手遊びなどで子供を遊ばせたり、動植物を取り込んだり、物語を挟んだり、知恵づけを試みたりする歌。これはおじいちゃんたちの歌に多いのが特徴である。

 3守子歌 雇われ娘が自分の身をはかなんで、一人語の形で歌う子守歌。子守のつらさや雇い主への不満、そしてふるさとの父母への思いや望郷の念が歌い込まれた、いわば子守娘の演歌ともいえる種類の歌である。

 本県の場合、この3種いずれにも心にしみる歌が数多く残されており、その中の何曲かは新しい装い(アレンジ)で演奏されている。またこの面の市民運動として取り組まれてきた宮崎市の「心のふるさと・子守歌運動」や、イベント「21世紀に残したい宮崎の子守歌」などは、時機を得た先見的な取り組みとしての関心を集めてきた。

高 橋 政 秋

 

 


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