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序文民謡

 宮崎県を優れた民俗音楽の伝承地、と呼んでも差し支えないだろう。

 先に文化庁と県教育委員会とが行った、実態調査でも、300種にも及ぶ暮らしの唄が記録されている。そしてそのほとんどが、今もってしっかりと歌い継がれている。自然環境や社会環境の変化によって、民俗文化が衰退消滅の危機に貧している状況の中で、これは素晴らしいことである。

 宮崎県の民謡が初めて文献に登場するのは、1772(安永元)年に刊行された、「山家鳥虫歌」で、「水に蛙の鳴く声聞けば、過ぎし昔が思わるる」ら、日向三歌が紹介されている。

 以後、鎌倉・室町時代の能や声明や平曲の流行、さらには江戸時代の三味線音楽や語り物の燗熟を経て、本県にも瀬戸内海の港を結ぶ海路、あるいは肥後や豊後からの陸路を通じ、多様な民俗音楽が運び込まれている。
 能や声明の音組織に共通する「椎葉型民謡」や、伝統の灯を守る「鶴賀新内」、また「でろれん節」や「船下り唄」を始めとする、多彩な「盆踊り唄」などがそれである。

 300種もの民謡のほとんどは、他から移入されたものだが、時代の侵食により肝心の唄の根が枯れてしまい、この宮崎にだけ生き残っているという、皮肉な現象を呈している。三方を山やまによって囲まれた地形がもたらす、アクセスや流通の悪さが、逆に時の流れを緩やかにし、種を守り残す結果につながったのである。幸運と言ってよいだろう。

 これら貴重な文化遺産を通して、われわれは日本音楽の遺伝子はもとより、時代や暮らしのありようを学び知ることが、出来るのである。

(原田 解)

昭和4年NHK熊本中央放送局でのスタジオ記念写真、高千穂、椎葉からの民謡出演者たちの写真
昭和4年NHK熊本放送局での
スタジオ記念写真、
高千穂、椎葉からの
民謡出演者

昔ながらの千本を置く高千穂の民家の写真
昔ながらの千本を置く
高千穂の民家

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