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世界広しといえども、入門期の音楽教育に自国のわらべ歌を中心に据えていないのはわが国だけのようである。 いうまでもなくわらべ歌はその民族の音感を土台としている。その音感を形作るのが音階(旋法)であるが、この民族の基層にある音階を無視する形で始められたのが、わが国の明治からの音楽教育であった。 こうして、遊びや暮らしの中で歌う歌と、学校で習う歌の「音階」が全く異なっている、という二面性が生じてしまった。これは現今の学校現場にも遺存(いそん)し、戸惑いをもたらし続けており、ひいては日本人の音楽生活を大きく二分することにもなっている。 ところで、地図に見る通り、宮崎県は平坦な海岸線を三方から包み込む形で、九州山脈の山々が取り囲んでいる。そしてその山々に源流をもつ、幾条かの河川が、落差の大きいままに、東面する太平洋に足早にそそぎ込んでいる。 年間を通して気候温暖、日差しは明るく、古来、日向かいの里と称されてきたこの地名が宮崎の地形、風土を余すところなく言い当てている。 一方この地形は、古いわらべ歌や子守歌を素朴なままに温存することにもなった。珍しい歌が数多く残されており、その曲種をみても実に豊富である。遊びはもとより、子供たちの暮らしそのものが歌でくるめとられていた感がある。 −ああ、そんな時はこんげな歌を歌ってましたな、と遠い記憶の場面を思い出してくださるお年寄たち。 わらべ歌が単なる歌に止まらず、子供の暮らしそのものと分かち難くつながっていたことを知らされるのである。 (高 橋 政 秋)
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