宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ

小松原焼き

「蛇蠍(だかつ)」の技法を駆使した壺。表面の割れの入り方が、細かく均等なのが特徴だ。

宮崎市月見ヶ丘の住宅が立ち並ぶ一角に、400年の歴史をもつ薩摩焼の流れをくむ窯元がある。独特の「鮫肌」「鈍甲肌」などが特徴の小松原焼。十四代目の田中博山さん、丹山さんの兄弟が窯の火を守っている。

小松原焼の開祖・朴平意は、豊臣時代の文禄・慶長の役によって薩摩に帰属し、苗代川(鹿児島県日置郡)で白土を発見して白薩摩を焼き始めた。朴家はその地で約250年の歴史を刻んだ後、幕末も近い万延年間に都城領主・島津久本の招きで都城の小松原に開窯。第二次大戦中に途絶えていたが、昭和46年に現在の地で再開された。

「もともとは苗代川焼の流れなのですが、都城に移り、都城の土で焼き始めたことで独自の技法が生まれました。小松原焼は現代の薩摩焼とはまったく異なる魅力があります」と丹山さんは語る。

鉄分が多い都城の土が簡素で剛健な味わいを生み、表面に細かな割れを与える「蛇蠍(だかつ)」「鮫肌」などの技法は、小松原焼に独特の表情をもたらした。

「ある陶芸家から、まるで田んぼの中から掘り出したような作品だね、といわれたことがあります。もう少し現代的なものを作ってはどうかということでしょうが、むしろそれを誇りに思っています。400年の歴史の中で、先祖たちが創意工夫を重ねてきたのですから」

微妙な火加減や灰の飛び方でさまざまな表情が生まれるが、焼きの最中に窯の中で何が起こっているかは、陶工にとっても想像の世界。「焼いてみないとわからない」という窯変(ようへん)の不思議さを追いながら、田中兄弟は小松原焼に新たな歴史を加えていく。


博山さんと丹山さん

博山さん(左)と丹山さん(右)の兄弟が、小松原焼を受け継ぐ。「作品はあくまでも道具だから、使う人の立場を忘れないことが大切」と語る。

昇り窯

作品を生み出す昇り窯。レンガの隙間から出る炎の色が赤から紫になると、最高温度である1300度が近い。子供の頃の遊び場が、今では兄弟の仕事場だ。

ろくろ

ろくろで茶碗を作る丹山さん。電気を使わない蹴りろくろによる「叩き」の技法も継承されている。


問い合わせ/小松原焼窯元
宮崎市月見ヶ丘6-7-15 TEL0985-54-2335