宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
ザインタビュー「田崎真也さん」

profile
田崎真也(たさき・しんや)さん

1958年東京生まれ。1977年フランスに渡航。1983年第3回全国ソムリエ最高技術賞コンクール優勝。1995年第8回世界最優秀ソムリエコンクール優勝。1996年都民文化栄誉章。1999年フランス農事功労章シュヴァリエ受章。日本人で初めての世界最優秀ソムリエ。自ら主宰するワイン雑誌『ヴィノテーク』をはじめ、さまざまなメディアを通じて酒と食にまつわる感性豊かなメッセージを発信。株式会社サンティール代表取締役。

素材の豊かさが宮崎焼酎の魅力。
本格焼酎ならではの風味を味わいたいですね。

日本を代表するソムリエ、田崎真也さんは、実は大の焼酎党。「土地ごとの酒、土地ごとの食」の観点から、焼酎の魅力と楽しみ方について語っていただきました。

著書『本格焼酎の愉しみ』を読ませていただきました。焼酎はお父様の影響とか。

田崎:両親とも九州出身ということもあって、父は晩酌に焼酎を飲んでいました。子供の頃はあまりなじめなかったのですが、大人になって父と東京の九州料理店に行ったのがきっかけになりましたね。「九州料理店」というのは九州にはないんだろうと思いますが(笑)、豚骨とか薩摩揚げとか辛子れんこんなどを出すわけです。そこで焼酎のリストを見たら、芋、麦、米、そばと書いてあった。試してみると、九州の食べ物に非常に合う。なるほどなと思いました。その後、1985年頃に日本酒造組合中央会から焼酎のテイスティングを依頼されて、たくさんの焼酎を味わう機会があり、私の中で焼酎の世界が広がりました。今では私も晩酌に焼酎をよく飲みます。

個性の強さこそ、いい酒の条件

田崎真也さん

食べ物と酒の関係について、よく論じておられます。焼酎も九州の食べ物あっての味わいなのでしょうか。

田崎:むしろ逆で、私ははじめに酒ありきではないかと思っています。日本酒でいいますと、京都をはじめとする関西の料理は薄味で、素材の持ち味を生かす方向にありますでしょう。あれは、灘の鮮度の高い酒がいつも手に入ったことが背景にあると思います。東京は、灘から酒を運んでくるのに時間がかかったので、古酒のような風味がついてくる。それに合わせて濃い口醤油を使用する料理が出来上がってきたのでしょうね。九州の甘い醤油を使う料理も、風味の強い焼酎に合わせて、育ってきたと考えています。

酒は作られる土地の気候や水、素材の違いから、土地ならではのものが生まれます。日本酒や焼酎はもてなしのための酒ですから、肴もそれに寄り添うように変化して、いつしか混然一体のものとなってきたんだと思います。そこが面白いですね。

日本酒ブームが終わり、現在は焼酎ブームを迎えています。どのような背景があったとお考えですか。

田崎:日本酒ブームの頃、岩清水を思わせるような淡麗な酒がもてはやされました。それはいいのですが、皆がみな、同じ方向をめざして、日本中、同じような淡麗辛口の酒ばかりになってしまった。先ほど言いました土地ならではのものが失われてしまったことが、ブームの終わりを早めたと思います。これは一時、焼酎も同じような傾向がありましたね。

飲みやすい、ということでしょうか。

田崎:そうですね。ワインで「飲みやすい」というのは軽くて安価なワインのための評価なんです。いいワインとは広がりがありバランスがよく個性のあるワインのこと。焼酎も技術が発達して、いくらでも単に飲みやすいものを作れるようになりましたが、本格焼酎の魅力は、むしろ個性の強さにあります。飲み手の方も、そのことに気づいてきていますので、焼酎本来の風味を大事にしていっていただきたいですね。

宮崎の焼酎や食べ物については、いかがですか。

田崎:宮崎焼酎は、素材が多様なところが鹿児島との大きなちがいですね。県南部は芋が中心ですが、県北部には芋、麦、そば、米とあり、一部は日本酒圏でもありますね。一つの蔵でさまざまな素材の焼酎を味わう楽しみがあると思います。ワイナリーも綾、都農、五ヶ瀬と3カ所あって質の良いものを作ってらっしゃいます。食べ物では地鶏や冷や汁が有名ですが、私は日向灘の魚のおいしさが印象にあります。お米も良質ですね。私のレストランでも綾の合鴨米を使っているんですよ。

焼酎の楽しみが深まった気がします。本日はありがとうございました。

2006年5月23日 東京都港区の田崎真也ワインサロンにて

焼酎