宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
フォト・ファンタジスタ

写真・文:芥川 仁

1947年愛媛県生まれ。法政大学第二社会学部卒業。伊豆大島に5年間、水俣市で2年間暮らし、1980年から現在まで宮崎市在住。1992年に写真集「輝く闇」で宮日出版文化賞を受賞。主な著書に「水俣・厳存する風景」「土呂久・小さき天にいだかれた人々」「輝く闇」「銀鏡の宇宙」「春になりては…椎葉物語」などがある。日本写真家ユニオン副理事長。photograph芥川仁事務所代表。

石波湾に浮かぶ猿たちの楽園

幸島(串間市)

幸島は、串間市石波湾の沖合200メートルに浮かぶ、周囲3・5キロの無人島だ。ここには、野生のサル約100頭が生息している。サルの生活を乱さないように気配りをしながら、そっと森へ入る。じっとたたずみ耳を澄ませていると、木々の揺れる音がザワザワと聞こえる。サルたちが枝を伝わって移動しているのだ。サワサワと草の揺れる気配がする。サルが草むらを移動しているのだ。

夜明けの幸島

夜明けの幸島(右手)。奥に見えるのが築島。鳥島と合わせて、石波湾には三つの島が浮かぶ。

サルたちは、私を監視している。時おり、ひょっこり目の前に姿を現すサルもいる。そんな時には、目を合わせず素知らぬ顔をしていると、サルは一瞬たじろいだ後、さっと脇をすり抜けて行く。野生ザルの生活に無断で侵入している人間としては、緊張の一瞬だ.。

幸島のサル

古くから島全体が神域として守られてきた幸島には、約100頭のサルが棲んでいる。

幸島の対岸の串間市市木地区で暮らす三戸サツエさん(92)は、父親と共に1930年頃から自宅のサツマイモを島に運び、野生ザルの餌付けを始めた。このことが京都大学霊長類学研究所のサル学研究に結びつく。餌付けで近づいてきたサルを一頭ずつ見分け、名前を付け、その行動を記録する研究方法は、野生ザルの戸籍簿作りとなり、世界に類を見ない研究成果を上げた。幸島は、世界のサル学発祥の地となったのである。

一族だろうか。昼下がりにくつろぐサルたち

この研究の過程で、餌付けに使ったサツマイモを海に持って行って、自分で洗って食べるサルが出現し、文化ザルとして一躍有名になった。しかし、現在では、野生ザル本来の姿を失わせるという考えから、餌付けは研究のための最小限度に留めている。そのためにイモを洗う文化ザルが姿を消しつつあるのは残念だが、野生ザルの楽園が残っていることは、宮崎の自然が真に豊かな証しである。

食べ物を海水で洗うサル

食べ物を海水で洗って食べる行動は、現代のサルたちにも引き継がれている。

通称オオドマリの浜はサルたちの遊び場だ。

広大な砂浜が広がる石波海岸

広大な砂浜が広がる石波海岸から幸島、鳥島を望む。