県広報みやざき

Photo news
県政フォトニュース
[県政の話題をピック・アップ]


韓国で宮崎をPR

韓国の人気俳優リュ・シウォンさんに、「韓国・宮崎親善観光交流大使」を委嘱し、韓国で、宮崎のPRをお願いしました。

(県庁知事室 7月16日)


横綱白鵬に県産品を贈呈
大相撲名古屋場所で優勝を飾った横綱白鵬に東国原知事が県知事賞を手渡しました。副賞として宮崎牛、サニールージュ(ぶどう)、うなぎなどを贈呈しました。
(名古屋市 7月27日)


宮崎コシヒカリ(新米)をPR
早期水稲宮崎コシヒカリ収穫の最盛期を迎え、東国原知事や小学生が稲刈りを体験しました。併せて試食会が開催され、米の消費拡大などのため、新米をPRしました。
(宮崎市 7月30日)


県民栄誉賞授賞式
北京オリンピック・競泳男子200メートルバタフライで銅メダルを獲得した松田丈志選手(延岡市出身)に、その栄誉をたたえ東国原知事より県民栄誉賞が授与されました。
(県庁講堂 9月1日)



そこが知りたい宮崎 現存する全国の県庁舎の中では四番目に古い宮崎県庁舎などの歴史を紹介します。

県庁本館はなぜ今の場所に建てられたのでしょうか

 平成19年4月、知事の発案で「知事等身大パネル」を設置して以来、たくさんの県庁見学者の方々が訪れ、今年八月には見学者が60万人を突破しました。
  県庁本館は、近世ゴシック様式の建物で、五ヶ瀬町で採石された自然石などを使ったロビーをはじめ、ステンドグラスの丸窓や飾り柱などいたるところに装飾がほどこされ、今や県を代表する観光地の一つとなりました。
  現在の建物は、実は2代目で、初代庁舎は美々津県と都城県が合併して宮崎県が誕生した翌年の明治7年に建設されました。
  当時、県庁周辺は、人家もまばらで、田んぼや、沼地の広がる場所だったといわれています。何故そのような場所に建てられたのかというと
1.県の中心部として交通の便などを考慮した
2.江戸時代より続く旧諸藩(薩摩藩、飫肥藩、高鍋藩、延岡藩、佐土原藩など)の影響の少ない所であった
ことが主な要因とされています。
 そんな場所だったからこそ、新しい都市計画がスムーズにできたとも言えます。また、九州では唯一の旧城下町ではない県庁所在地です。
不況対策として行われた県庁本館建設
 現在の県庁本館は当時約72万円、現在のお金に換算すると30〜50億で建設されたと言われています。 
 県庁舎は、自主財源で造らねばならない建物ですが、県は資金の捻出に苦慮していました。
 そんな時、4つの電力会社(大淀川水力電気(株)、球磨川電気(株)、九州送電(株)、九州水力電気(株))が、ダムをつくるための水利使用寄付金として45万円を提供しました。
 さて、なぜそこまでしてこのような大事業を行ったのでしょうか。
 県庁舎が手狭になり、円滑な県行政に差し支えるようになったことはもちろんのこと、建設当時は、世界恐慌のあおりを受け宮崎県も大不況にみまわれていました。
 そのため、県庁本館の建設をはじめ、鉄筋コンクリートの橘橋の建設、現在の美郷町西郷〜椎葉村に通じる道路建設などさまざまな景気対策事業を行いました。
 不況対策に苦悩する県と、県内の水資源などを活用したい企業との思惑が合致したためかも知れません。
 また、県庁本館が建設された昭和七年に橘橋も同じく完成しました。
 その頃、県庁の周辺(主に県庁本館東側の本町通り)は、市役所をはじめ宮崎地方裁判所、県立図書館、
消防署、そして大正15年建設の旧宮崎農工銀行(現在の文書センター)と、官庁や銀行などが立ち並ぶ通りでした。
 しかし、橘橋完成以後は、現在の橘通りがメインストリートとなり、次第に官庁や銀行なども移転されていきました。



TOP