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宮崎県のどまんなか、トロントロンの響く町 ルート トレッキング
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  天龍梅 (てんりゅうばい)
(宮崎県三大 名梅の一つ)樹齢数百年以上の老梅、約百年前大暴風雨で倒れ伏しましたが、その倒梅が次々に根を出し枝を伸ばし四方に栄え始めた、その姿が天に昇る龍のように見える事から、大正6年2月天龍梅(てんりゅうばい)と命名されました。
空挺落下傘部隊発祥之地
太平洋戦争に突入した昭和16年、南方戦線での奇襲作戦に備えて空挺落下傘部隊が川南の唐瀬原(からせばる)地区に創設されました。司令部は(現、川南 東小学校付近)、隣接して附属連隊(2個連隊)・車両連隊・戦車・通信隊・陸軍病院・飛行場格納庫(鉄筋1棟、木骨3棟)・1500米滑走路、現・唐瀬原(からせばる)中学校付近には空挺落下傘部隊第4聯隊、現、国立療養所宮崎病院付近には空挺落下傘部隊第3聯隊が創設されました。この日から「空の神兵」と讃えられ将兵の降下猛練習が毎日この唐瀬原(からせばる)で行われ、川南村は一瞬の間に軍都と化したのです。
篠原みようと滝
向(む)かって右側の小さな水の流れが女滝、左側が男滝、白い二すじの清流が巨岩の上から流れ落ちる様は、豪壮と言う感ではなく、女性的風情の滝です。
トロントロン
(地名の由来)江戸時代の参勤交代のおり、行列がこの地を水飲み場として利用、旅の疲れをいやしてくれるかの様に優しくトロントロンと水の音が響いたといわれています。
宗麟原(そうりんばる)供養塔
六地蔵塔「宗麟原(そうりんばる)供養塔」豊後塚(昭和8年、国の史跡指定)天正6年11月、島津氏と大友氏の壮絶な戦いが高城(たかじょう)川を挟み行われました。西の関ヶ原と言われた九州を二分する合戦です。両軍の戦死者の数2万人、この戦いに勝利した島津義久は、高城(たかじょう)主、山田新助有信(ありのぶ)に敵味方の区別なく手厚く葬る様命じました。山田新助有信(ありのぶ)は大施餓鬼の法要を行い卒塔婆を建て、豊後塚と名づけ、7回忌の大施餓鬼のとき豊後塚に六地蔵塔建立を計画し翌年2月建立。これが後に、土地の人々が呼んでいる「宗麟原(そうりんばる)供養塔」です。
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川南町は、日本三大開拓地といわれ全国47都道府県から大志を抱いた人々がやって来ました。先人たちの声を聞き、フロンティア・スピリットに触れる町。宮崎県のド真ん中を歩く。川南町トレッキングコースは「トロントロンドーム」をスタートに2つのコースがあります。
Aコースは「トロントロンドーム」を出て、「篠原みようと滝」に向かいます。女滝、男滝の白い二筋の清流が風情を誘います。ここから歴史を刻む町中へ、弾丸の痕が残る「高架水槽」、太平洋戦争突入時に創設された「空挺落下傘部隊発祥之地」記念碑や、樹齢100年以上の老梅「天龍梅(てんりゅうばい)」など点在する歴史を歩きます。「トロントロン」というユニークなバス停を見る事が出来ます。Aコースは一周17.3キロメートルの行程です。
Bコースは、「トロントロンドーム」をスタートし、尾鈴(おすず)山系の麓に広がる川南台地で「川南古墳群」、「宗麟原(そうりんばる)供養塔」に向かう途中、県道40号の西別府大橋から、天正6年11月の島津氏と大友氏の壮絶な戦いが行われた高城(たかじょう)川が見えます。その後「白鬚神社」を経て「篠原みようと滝」へ向かい「トロントロンドーム」へ帰る一周20.7キロメートルの行程です。
海、山と大地の恵み
通浜漁港は太平洋に面して直線的な海岸線に永年をかけ整備され、現在では県中央最大規模の港になりました。港いっぱいに様々な白い船体が岸壁に並ぶ様は、叙情詩的な光景です。現在、隣接地には公園もでき、休日には老若男女で賑わい、刻々変化する海の光景を満喫しているように見えます。その他、サーフィンに適している伊倉ヶ浜公園や、カキなど海の幸豊かな磯場(いそば)が点在しています。 陸側からの位置は尾鈴(おすず)山系を拝し、その眼下に見渡す川南台地から太平洋を望む風景は絶景です。
 平成16年度より整備される遊学の森は、村上牧場の奥に位置し、牧場、遊学の森との一体的な開発が計画されており川南の新名所となるでしょう。
 川南台地は、戦後、全国各地からの入植者により開拓され、日本の三大開拓地として発展し、現在では農業の町、畜産の町として、県内有数の生産力を誇る食糧基地としての役目を果たしています。 近年、グループによる観光農園も徐々にではあるが増えつつあり、作る農業から見せる農業、体験する農業への発想の転換も、時代の流れと共に必要となるのではないでしょうか、又、地元の農産物を使った加工食品の開発も試みられています。ここに列挙した事柄を行政、町民、関係団体共に心をひとつにして有効に計画活用していけば、県内有数の観光の町となることは夢ではありません。
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