第1章 各地域の地形・地質と風土

1.西臼杵地域

  西臼杵郡の高千穂・日之影・五ヶ瀬の3町にまたがる地域である。日向の屋根、九州山地の奥にあり、五ヶ瀬川の源流地帯となっている。秩父帯の中・古生層は岩石・鉱物・化石の宝庫である。塩基性岩やチャートはしばしば硫化鉱床やマンガン鉱床の母体となり、赤白珪石からは装飾・美術工芸の材料となるジヤスパーを産する。石器時代のこのかた、人々の注目するところであったに違いない。石灰岩は大理石として工業原料として、それ自体鉱山物資源であるとともに、花崗岩類と接するところ、日之影川や岩戸川の沿岸に金属鉱床と鉱物結晶の生成を見る。石灰岩はまた珊瑚やフズリナ類の化石を産し、亜熱帯の珊瑚礁に繁栄したであろう生物群の遺跡を語る。これらの岩石は乳白色・淡紅色・赤紫色・緑色・などの色彩に富み、五葉岳・戸川岳・諸塚山・白岩岳・国見岳・そして祇園山・二上山・を連ねる綾線と谷壁を彩っている。


回廊状の峡谷に架かる雲海橋と秩父帯南縁のチャートの岩稜

  一方、新第三紀に噴出した祖母・傾の火山岩類は屋上屋を連ねて県境の空を画し、峨々たる岩壁は千古の斧を阻んで原生林を保護してきた。

  高千穂を中心とする神話と伝説の地でもある自然現象や自然と人間とのかかわり合いが擬人化され、あるいは神格化されて語られる古代人の手法を見いだすとき、北方に火の山を望み、祖母・傾の連山と秩父帯南峯に囲まれ、鉱山・森林・野生動物そして水の天然資源に恵まれたこの山間墓地に、古代文明発祥地の物語りが育まれたのは決して偶然ではない。

  この地域の地形的風土の形成に大きな役割を演じたものに阿蘇火砕流がある。その分布をたどるとき、高森町を見下ろす峠あたりから溢れ出たであろう灼熱の火砕流が、五ヶ瀬川の刻んだ、旧河谷を埋め尽くし、余勢を駆って一部は延岡へ、他の一部は鞍部を越えて耳川・小丸川・五十鈴川へと下った有様が手に取るようにうかがわれる。わけても高千穂・五ヶ瀬における勢いは著しく、火砕流は中・古生層山地の中腹近くまでせり上がり、厚さ150〜200mの上面に広い平坦面や緩斜面を形成した。それは更新世紀末の出来事で今から4万年以上前と言われている。そして余燼冷めやらぬ高原地帯は、山野を駆け廻っていたであろう古代の人々に、やがて格好の永住の地を提供することとなる。


高千穂町三秀台より祖母山を望む

  五ヶ瀬川を遡り三田井に分け入った旅人をして、余りに山の奥を訪ねて人里近くなったという感慨を抱かせる広闊な風景、そして朝霧の晴間に描かれる茶畑のまろやかな輪郭は阿蘇火砕流の造形の業と言える。阿蘇火砕流の推積物に水が働きかけるとき、一方では下方浸食によって至るところに急湍を作り狭谷を刻むとともに、降水の一部は地下に浸みこみ、複雑な迂回経路を辿る地下水の時差的な流出は、石灰岩からの地下水流出の相まって、五ヶ瀬川下流における水量を不断のものとし、やがて用水の面から延岡の城下町、更には工都出現を促す結果ともなる。