第1章 各地域の地形・地質と風土
2.東臼杵地域
東臼杵群から海に臨む北浦町と門川町とを除いた地域を、ここでは東臼杵地域とする。この地域には北川・北方及び投合の町、北郷・西郷・南郷・諸塚及び椎葉の5村が含まれる。ほとんど四万十累層群の山地で、諸塚村と椎葉村の西北部に秩父帯が横切る。四万十累層群の山地には峨々とした険しさは余り見られないが、奥地に分け入る道程は遠く深い。越えても越えても山また山である。
九州山地四万十累層群の作る山波
幾つ河こえさりゆかば寂しさの
はてなむ国ぞけふも旅ゆく
山頂に立って幾重にも連なる山波を望むとき、他国で詠んだと言われる牧水のこの歌は、この山波にこそふさわしい。
ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ
秋もかすみのたなびきてをり
牧水の故郷坪谷は尾鈴山の北麓にある。北川・祝子川・五ヶ瀬川・耳川・小丸川などの河川は岩層の帯を横断して流れ、玄武岩質溶岩や砂岩など堅い岩をえぐる部分では狭隘なV字谷と急流・急湍をなし、古来、奥地に対する河谷沿いの交通を著しく阻んできた。また、砂岩頁岩互層や千枚岩地帯の急斜面は崩壊の危険に曝されている。これに対して山奥の中腹と尾根には以外に緩やかな地形が発達し、古来集落と耕作地は中腹の平坦ー緩斜面に、交通路は尾根伝いに開かれてきた。
諸塚付近の山腹に開けた平坦−緩斜面と集落
雷坂・霧立ち越などは椎葉から肥後・五ヶ瀬方面、七ッ山・日諸峠などは諸塚から五ヶ瀬・高千穂方面、九左衛門峠・中小屋・石峠・清水峠・などは諸塚から日之影町・延岡方面に向かう尾根道であり、また馬の荷物を付け替える中継所でもあったと言われる。これらは5万分の1地形図にも名残を止め、往時が偲ばれる。
このような緩やかな斜面は準平野や段丘面の遺物とも考えられ、新第三紀頃の遠い過去二、深い谷に刻まれる前の平坦な広がりがあったことを想像させる。
秩父帯南縁から四万十累層群にわたる九州山地の峰々は、国見山・白岩山・諸塚山を連ねる1700〜1300mの高度から東南東に向かって次第に低まり、珍神山・仁久志山・鳥帽子山岳を連ねる800〜400mに至る。すなわち全体としては、あたかも一枚の板を緩やかに日向灘に向けて傾けた状態に似ている。これに対して、新第三紀に貫入し、あるいは噴出した花崗岩類と酸性岩類は、九州山地の中に著しいアクセントを作り、一方に大崩山を中心とし、他方に尾鈴山を中心とする険しい高まりと屏風状の岩列を突出させている。可愛(えの)岳からむかばき山を経て比叡山・矢筈岳・丹助岳に至る屏風岩は、大崩山花崗岩体をとり巻くような形で貫入したリングダイク(環状岩脈)が覆面を脱いだ姿であり、その小規模な物は尾鈴山酸性岩体の北側と西側にも見られる。
環状岩脈の一角、行縢山の屏風岩
祝子川や綱ノ瀬川が大崩花崗岩体やリングダイクの花崗斑岩を穿つところには、花崗岩類特有の狭谷地形を作っている。また花崗岩地帯を源流とするこれからの河川は、適度の珪酸塩と均整のとれた水質組成を醸し出し、酒造りや繊維化学工業に最適の水資源を供給する。