第1章 各地域の地形・地質と風土

7.都城・北諸県地域

  都城を中心として三股・山之口・高城・高崎・山田の5町を含む地域である。何れも都城盆地に含まれ、河川と廃水はすべて大淀川本流に合流して宮崎に注ぐ。言わば運命共同体地域である。東は南那珂山地の一部である青井岳ー柳岳山地によって、西は霧島山地から高隈山地によってそれぞれ面され、末吉町を経て鹿屋方向に延びる凹地帯の北縁部に当たる。都城盆地は宮崎平野に次ぐ平原地帯である。

  第四紀火山活動の跡は、小林・西諸県地域に劣らず生々しく、大淀川沿岸シラスの源流地帯とも言える。宮崎平野の“原(はる)”が旧河川氾濫原の遺物を指すのに対して、この地域の“原”は旧氾濫原の上に重ねられたシラス台地を意味すると言ってよい。シラス台地は大淀川西岸に典型的に発達しているが、細かく見ると、これは高度差によって二つに区分される。すなわち、関之尾滝付近を境にして東側は文字通り“原”の原形がよく保存されているが、西側では一段高く、開析の進んだ丘陵地帯となり、僅かに頂面に“原”の面影を残している。これに対して大淀川東岸ではシラス台地の広がりは小さく、また、シラス台地面や沖積面を破って他の更新世堆積物や四万十累層が露われ、独立丘を散在させている。

  都城盆地の地下には、始良火砕流の一部としての入り戸火砕流をはじめとする第四紀の盆地堆積物が厚く重なっており、沖積面からの深度150mで未だ基盤の四万十累層群に届いていない。盆地堆積物のうち、上半部は入戸火砕流のシラスと灰石で、その下には砂礫層や泥質層が続いている。入戸火砕流が流入する以前のこの盆地は、加久藤盆地や野尻盆地と同様に湖底にあったと思われる。また、シラス台地の一部には縞状模様の水成二次シラスが見られ、入戸火砕流堆積後に再びダムアップされて、浅い停滞水域となったことがうかがわれる。その後、大淀川の頭部侵食がこの盆地北端の狭 部に達するに及んで、盆地内は乾陸化し、シラス面を刻むことによって多くのシラス台地に分断されるに至った。

  都城市街地は沖水川や萩原川の氾濫によって形成された扇状地の末端に位置している。盆地堆積物中の地下水は豊富で、同市街地では深度80m付近で入戸火砕流のシラス・灰石を貫くとき、大きな水頭圧を有する被圧地下水の湧出を見る。被圧地下水開発の初期、昭和36年頃は、水頭圧が沖積面上約10mに達し、沖積面上約3mにおける自噴量が、口径300mmで約3,000m3/dayに達した記録がある。しかし、現在では水位が漸減し、地下水盆の水収支について、今後大きな課題に迫られようとしている。シラス地帯の常として、台地崖からの湧水は各所に見られ、古来、人々は湧水地を拠点として集落を形成してきた。シラス地帯の宿命として台地崖はまた、崖崩れの頻発地帯でもある。古い住民は二津背反のこの現象を巧みに受け入れて、最も安全かつ便利なところに居住地を構えてきたように見受けられる。