5 おわりに

 今回,大きな修正を加えた四万十帯の地層区分については,研究者の間で意見の一致をみていないものが少なからずある.大規模な衝上断層の位置も四万十帯に関わる研究者の間で一致しているわけではない.例えば,塚原衝上断層の位置は,従来のものを大幅に変更したために,諸塚層群,槙峰層群の地層区分が宮崎県地質図第4版(宮崎県,1981)や,5万分の1の「蒲江」地質図幅(奥村ほか,1985),寺岡・奥村(1992),寺岡ほか(1994)と異なっている.

 日向層群と日南層群の境界についても,坂井ほか(1987)や坂井(1992b)では,境界断層は本地質図よりもかなり北西および西方に考えられている.これは,20万分の1宮崎県地質図第5版で日向層群とした砂岩優勢層を,日南層群中の巨大なオリストリスと解釈していることによる. また,斉藤ほか(1997)の20万分の1「宮崎」図幅では,日向層群と日南層群は交互に産出することが示されており,両者の分布域が大きく二分されるようには描かれていない. これらの見解の相違は,両層群が地層の時代のみではっきり区分されるのかどうか,あるいは,巨大なオリストリスをどう認定するかにかかわっており,今後,さらに様々な検討が加えられなければならない.

 このように多くの解明されていない問題はあるにしても, 宮崎県全体の四万十帯や秩父帯の岩相分布の傾向は,かなり明らかにされてきたものと考えている.層序,地質構造が詳細に調査されている範囲は狭く,宮崎県全域を20万分の1で,同じ基準で地層区分するには難しい地域もある.今後も,地層の分布を正確に把握し,20万分の1地質図に反映させる必要があると考えている. 20万分の1宮崎県地質図および本説明書は,不十分な点を多々含んでいるが,これらを利用される方々に少しでもお役に立てば幸いである.また,今後の宮崎県内の地質学的研究が進展することを願ってやまない.