みやざきの百一人ロゴ 川添定平(かわそえじょうへい)1863(文久3)年〜1943(昭和18)年


●北郷町植林の功労者
 全国的に有名な飫肥杉は、藩政時代からの歴史があり、野中金右衛門が生涯をかけて育成したことはよく知られている。地域的には現在の清武町・田野町・宮崎市の一部・日南市・北郷町・南郷町の区域を指すがその中心は北郷町である。
 明治から昭和にかけてさらに飫肥林業を充実させた人物に川添定平がいる。川添は1881(明治14)年宮崎学校師範部を卒業。小学校に勤務し、後に郷之原小学校長となった。1896(同29)年、34歳の時、当時の北郷村書記、1899(同32)年助役となり、1902(同35)年40歳の時、北郷村長となった。
 村長としての課題は基本林の造林と国有林の払い下げであった。1903(同36)年から各地の基本林造成に取り組み、その後、大野・稲荷免・岩下・永迫などの国有林払い下げを受け、それぞれ植林を行った。
 川添が手がけた造成は、基本林93町(1町1ヘクタール)、部分村213町で、これらの植栽した杉は40万本以上であったという。
 また、農業の振興にも尽くした。たい肥作りを奨励し、米麦の増産による食糧の自給を確立した。併せて畜産・養蚕の普及を図り、農家の副業として現金収入を図った。
 1930(昭和5)年病のため村長を辞したが、1939(同14)年推されて村議会議員となり、造林委員として植林の管理・拡充を図った。
 1938(同13)年、自治法発布50周年に際し、北郷村は川添を自治功労者として表彰した。(前田 博仁)
メモ
◎飫肥林業
 飫肥藩は財政窮乏の打開策として山野に杉の挿し木による造林を奨励した。
 挿し木造林の始まりは、1623(元和9)年とされ、板敷・楠原・吉野・星食4村の藩士が村々の山林原野に植林した。
 1700年代になると天然林材が不足するようになり植林を勧めた。
 1789(寛政元)年石那田実右衛門が吉野方に5年がかりでヒノキ・スギなど10万本ほどを挿し付け献上している。
 また、飫肥林業発展に大きな功績を残した杉方野中金右衛門は、1796(寛政8)年に植木方役となり、78歳で辞職するまで藩内林業の全責任を負った。彼が半世紀にわたって植林した杉の本数は幾100万本、1万本以上の大造林地だけでも百数十カ所に及んだといわれる。


川添定平の写真
川添 定平







飫肥杉の写真
1878(明治11)年、直挿しで植栽した飫肥杉。現在、三岩学術参考保護となっている

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