菊池重三郎(きくちしげさぶろう)1901(明治34)年〜1982(昭和57)年


●故郷に強いこだわり
 現北方町曽木に生まれた。幼くして父母と死別。祖母に育てられ、後、伯母などの家に転じて立教大学を卒業。はじめ中学校の教師をしたが、のち新潮杜に入り編集担当。『芸術新潮』の初代編集長となる。島崎藤村の知遇を得て、戦時中、木曽馬籠にある藤村の祖父の隠居所に疎開。藤村が1943(昭和18)年大磯で亡くなってから藤村記念堂の開設を思い立ち、1947(同22)年設立にこぎつけた。そのよしみで随筆『木曽馬籠』などをはじめ、小説集『鸚鵡(おうむ)の宿』などのほか、翻訳としてロングセラーの『チップス先生さようなら』がある。1957(同42)年宮崎日日新聞に連載した『故郷の琴』で翌年宮崎県文化賞を受賞した。故郷に思いを込め、綿密で情感をたたえた作品である。
 彼は自らの「ふるさと」に異常なほどこだわっている。『故郷の琴』の冒頭「日々のふるさと」にこう述べている。
 「たとえ生涯の5分の1にしかあたらない歳月を過ごしたにしても、わたしの生まれたのは日向であり、日向に育ったのだ。そして本籍を移す問題が身近に何度か起こったときも、なぜか気がすすまないままに拒み続けて今日に及んだが(中略)案外わたしの心の支えになっていたかもしれない」
 48年ぶりに帰郷したときの、故郷の山河や人々に接した喜びが、あふれるように、痛いほど描かれている。それは旅人の感慨ではない。再会した喜びや悲しみなどが、にじみ出るようにひろがりをもって書かれている。「生きるということが、これほど切なく、別離が逢う歓びにくらべて、どんなに辛いことか、身に沁みて哀しかった」とも述べている。(黒木 淳吉)
メモ
 いかに齢老いても
 私の心は まだ愛のなかに
 幼年の日を灼いた
 あの無邪気な熱を持っている
  E・ヴェルハーレン
 『故郷の琴』の扉に書かれた詩である。その詩に託した彼の故郷への思いは全ぺージににじんでいる。
 それは自然・人情などを、温かく、香り高くうたいあげている。
 「地平線はやや右に傾き、一ツ葉海岸の松林はそれとはっきり見えるほど色濃く、空の広さはまるでオランダの画だ。燦めく瞬いていた星の光りは、いつか消え失せ、空がほんのりと色づき始めると、大淀川もやがて朝靄にかすんだ眠い目をこすり始める。こんな夜明けの天地が呼吸(いき)づく風景を、宮崎の人よ、あなたは知っているであろうか」


菊池重三郎
菊池 重三郎







県立図書館に所蔵されている菊池重三郎の著書

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