藤井長治郎(ふじいちょうじろう)1889(明治22)年〜1985(昭和60)年


●集落自治の組織確立
 藤井は1913(大正2)年に宮崎師範学校(現宮崎大学)卒業後、諸塚村内の小学校教員などを経験し、1922(同11)年に諸塚郵便局長、1929(昭和4)年に諸塚村会議員に就任。しかし、第2次世界大戦の敗戦により荒廃した郷土を復興すべく、戦後初代の村長に選出された。
 彼がまず手がけたことは、人々が失った希望と誇りを取り戻すための公民館建設であった。この公民館を人づくりのセンターとして集落自治の活動組織を確立していった。さらに1947(同22)年4月に早くも成人式を行い、1949(同24)年8月に村広報紙「もろつか」を創刊するなど、新しい時代へ向けた村づくりは、彼の公職の存否にかかわらず生涯続けられた。
 なかでも老人会の組織化に関しては、1961(同36)年10月に「寿会連合会」を発足させ、1983(同58)年9月まで22年間会長を務めた。教養講座や趣味の教室の開催のほか、民俗資料の収集、民話・伝説などを特集した『ことぶき』という機関雑誌を発行し、生存中に第6号まで刊行、現在でも続けられている。
 村長を辞した後、1955(同30)年まで宮崎県議会議員に4年間在任し、商工会会長・教育委員長などを歴任した。1966(同41)年1月に名誉村民となり、翌年に勲五等瑞宝章を受章。彼の功績に関しては、『ことぶき』における追悼号に寄せられた多くの村民からの温かいことばによく現れている。(渡辺 一弘)
メモ
◎機関誌『ことぶき』
 「われわれ老人が過去を調べてそれを若い者に伝承し、未来につなぐ使命を負っていると思うが、そのためには寿会会員1人ひとりが永年の体験で感じたことを書き残そうではないか」との彼の提案で、1978(昭和53)年に機関誌『ことぶき』が創刊された。そして、第10号が藤井氏の追悼号となっている。また、彼は絵をよく描き、1990(平成2)年には村の四季を描いた画集『ふる里の心』が発刊された。


藤井長治郎の写真
藤井 長治郎







『ふる里の心』に収録されている1枚の画像
諸塚村の四季を描いた『ふる里の心』に収録されている1枚

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