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●アマテラスが隠れる 天照大御神(アマテラスオオミカミ)が高天原を治めていたとき、弟神・スサノオノミコトは田のあぜを壊したり、水路の溝を埋めてしまうなど、乱暴なことをして神々を困らせていた。 姉神のアマテラスは、弟をかばっていたが、あるときスサノオが生き馬の皮をはいで機屋(はたや)の天井から投げ込み、機織女たちがけがをしたり、死んだりしたので、とうとう我慢しきれなくなって、天の岩屋戸の中に隠れてしまった。そのため、高天原は夜のように暗くなってしまった。 そこで八百万(やおよろず)の神々が天の安川原というところに集まり、相談した。その結果、鏡、勾玉(まがたま)などを作って、天の岩屋戸の前に立てたサカキの木に掛け、美しい布や御幣を飾って、にぎやかに祭りをすることになった。 アメノウズメノミコトが面白く舞い踊ったので、大勢の神々は声を出して喜んだ。この騒ぎを聞き、アマテラスは岩屋戸を少し開けて外を見ようとした。そのとき、アメノタチカラオノミコトが岩の戸を押し開き、アマテラスを外に出すことができた。 高天原は元のように、明るくなった。古事記も日本書紀もこの神話を載せ、古代の祭りを描くところは、神話の頂点ともなっている。 高千穂町の天の岩戸神社東本宮は、天照大御神を祭神とし、天の岩屋戸と伝承するところを神霊の遺跡として祭っている。西本宮はその遥拝(ようはい)所である。すぐ近くに、八百万の神々が集まって相談をしたという天の安川原がある。 社伝によれば、弘仁3(812)年、三田井氏の祖・大神大太惟基(おおがのだいたこれもと)が、夢に神霊を見て恐れ多く思い、同神社を建てたという。アメノタチカラオが押し開けた岩戸はそのまま放り投げられ、長野県の戸隠村まで飛んでいったとする伝説がある。 その戸隠神社の奥の院にびょうぶのような岩山がそびえている。それが飛んできた岩戸だという。ここは古くから、修験者の道場としても知られている。 天の岩屋戸という岩くつそのものを祭る神社は、全国的にも珍しいと思われる。 高千穂地方では今でも秋から冬にかけて夜神楽が奉納される。この神楽では、アマテラスが隠れた天の岩屋の前でアメノウズメが面白、おかしく舞う演目も伝えられている。 甲斐亮典
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