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●恋の悲劇 怨霊を供養 昔、佐土原が田島の庄と呼ばれていたころ、そこを治める地頭に田島七郎左衛門祐明という者がいた。彼には安姫という姫がおり、あまりに美しいので、あちこちの家から、ぜひ嫁にほしいという話が次々に持ち込まれた。 七郎左衛門も、愛する娘の嫁入り先は、よく選んでやるつもりでいた。そのころ、田島のやかたでは猿楽がよく催された。猿楽は古い時代の芸能で人気があり、豪族のやかたなどによく呼ばれた。 あるとき、都から猿楽の一座が招かれた。その一座に若い美男の役者がいて、人々の人気を集めていた。ところが、だれ言うとなく、この役者と安姫の仲が怪しいとうわさされるようになった。 狭い城の中のことなので、美男と美女の2人は、いつか心を通わせるようになっていたのだろう。七郎左衛門はこのうわさを耳にして驚き、安姫を呼んで確かめると、姫が役者を思う心は固く、父の説得も受け入れようとはしなかった。男の方も安姫を慕う心が強く、あきらめる様子は見えなかった。 七郎左衛門は困り果てた。地頭の姫を猿楽の役者と一緒にすることはできない。そう考えているうちに、親の心を裏切った娘が憎くなって、いつしか怒りに変わった。とうとう安姫を簀(す)巻きにして、祇園の月宮の池に投げ込み、心を変えるように迫った。姫はいかように父に言われても、受け入れようとしなかったので、池に沈めてそのままにしておかれた。 数日後、姫を引き揚げると、姫は少しも変わらぬ美しい笑顔で揚がってきた。七郎左衛門は驚き、悪霊が取りついたのだと、家来に命じて現王口の河原で切らせた。この後、猿楽の若者も八日町で切り殺された。 姫と役者の恋は悲劇に終わってしまったが、安姫の魂は怨霊(おんりょう)となってさまよい、田島七郎左衛門の家には、不幸が続いた。また処刑にかかわった家来の者にも、不幸が続いて起こった。そこでこの怨霊を慰めるために、安宮寺が建てられ、祈りがささげられた。また役者の方は、稲荷神社に祭って、その霊魂を供養した。 たたりはようやく収まったが、いつしか人々は月宮池を「恋裂きの池」と呼んで、安姫を思いやった。池の周りにはサド(イタドリ)が生い茂ったので、人々はさど原と呼ぶようになったという。後に祇園神社が建てられ、池は埋められて跡形もなくなった。 甲斐亮典
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