みやざきの神話と伝承101ロゴ 72 狗留孫山の石卒塔婆
 
 
 
       
  ●仏の化身とあがめる
 熊本県境に近い、えびの市大河平小屋野の狗留孫(くるそん)山に熊野三所権現(羽山積神社)がある。明治以前の本地仏は阿弥陀如来、薬師如来、観音菩薩で、その別当寺に端山寺(廃寺)があった。本県における仏教色の濃い立岩信仰の霊地の1つであり、山と水の守護地である。
 ここにその昔、健磐(たていわ)と沙伽羅(しゃがら)の2龍王がいた。健磐龍王が狗留孫仏(過去に現れた七仏の第4の仏で、衆生を救済するため、最もよいときに出現する千仏の第1の仏と言われる)に願って、高さ22メートルほどの石の卒塔婆を山中に建てた。沙伽羅龍王は大変喜び、これも観音大士(菩薩)にお願いして、高さ15メートルほど、周り2メートル余の石卒塔婆を建てた。
 狗留孫仏が建てた石卒塔婆には大般若経が書かれ、これを狗留孫仏の化身としてあがめた。観音菩薩が建てた方には法華経が記され、観音石とも呼ばれている。
 沙伽羅龍王は八大龍王の1つで、観音菩薩に仕える二十八部衆の1つでもある。また仏法を守る龍神、降雨の龍神として雨ごいのときの本尊でもあり、川内川上流の水源を守る仏ともなっている。この龍王は源実朝の願いに栄西が祈雨の法を行い、効験があったことと縁があるのかもしれない。
 さらにこのような話が伝わる。
 神武天皇が石卒塔婆があることを知って参詣したという。「暫しこそ、端山繁山しげけれど、神路の奥にみちあるものを」と詠んだので、これにちなんで端山寺と号した。神武天皇の開基と伝えられている。
 後に栄西禅師は宋に渡り、医王山で修行した。観音菩薩の霊示を受けて帰国したあと、この山に来て、石卒塔婆を拝したという。山中に祠(ほこら)を建てて熊野三所権現を勧請した。別説では金毘羅の老翁の霊示を受けたともいわれる。
 深山幽谷のこの山に参り、石卒塔婆を拝する者は、あらゆる罪障を消滅して、すぐに仏の功徳を受ける験を得るという。このことから、日本66カ所の納経所とも伝えられる。
 栄西禅師は、「喫茶養生記」を著しているが、中国から茶種をこの地にもたらし、中国系の茶を広めたという伝承から、茶の関係者にとっては霊地として仰がれている。日之影町鹿川にも類似の立石信仰がある。
永井哲雄
 





石卒塔婆の写真
石卒塔婆。
悠然と立ち、山と水を守る

       
 
 
 

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