年月日
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内 容
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昭和44.3.5 |
宮崎県北諸県郡高城町四家萩野地区で開催された昭和44年宮崎県植樹祭において、知事から全国植樹祭を誘致開催したいとの意向が示された。 |
昭和45.7.22 |
第6回国土緑化推進委員会理事会において、第24回全国植樹祭を、昭和48年に宮崎県で開催することを正式に決定した。 |
昭和46.5.6〜7 |
県と国土緑化推進委員会(徳川理事長、奥田理事)と現地調査の結果、全国植樹祭会場地を、宮崎県霧島山麓夷守台に決定した。 |
昭和46.6.21 |
宮崎県全国植樹祭準備連絡協議会発足される。
会長、林務部長、委員(関係課長)36名 |
昭和46.9.14 |
全国植樹祭開催計画案を三役の検討に付した。 |
昭和46.11.6 |
林野庁秋山造林保護課長、会場視察に来県された。 |
昭和46.11.10 |
宮崎県全国植樹祭準備連絡協議会にて、開催計画最終案を検討した。 |
昭和46.11.11 |
記念印刷物編集委員会設置、参加者に配布する印刷物の編集を開始した。委員14名 |
昭和46.11.26 |
テレビ、新聞社の支局長を会場に案内、協力を要請した。郵政大臣外に記念切手発行を陳情した。 |
昭和47.1.17 |
庁議により第24回全国植樹祭開催基本計画を決定するとともに宮崎県全国植樹祭本部設置を決定した。 |
昭和47.1.19 |
緑化の歌詞と標語の募集要領決定、公募を開始した。 |
昭和47.3.20 |
歌詞、標語締切。歌詞335編、標語3,015点あつまる。 |
昭和47.3.24 |
記念印刷物、ポスター、シンボルマーク作成計画を決定した。 |
昭和47.4.22 |
第24回全国植樹祭のシンボルマーク・デザイン委託を福岡市在住のデザイナー西島伊三雄氏に決定した。 |
昭和47.5.21 |
第23回全国植樹祭が新潟県黒川村胎内平で実施された。 |
昭和47.6.12 |
シンボルマーク、標語、歌詞が決定した。
霧島山麓にて、大会用の野鳥の声の採録を開始した。 |
昭和47.6.22 |
入選歌詞の作曲を宮崎大学海老原直教授に依頼した。 |
昭和47.7.17 |
県内各地区別に全国植樹祭の開催計画について説明会を開始し、県民の理解と協力を要請した。 |
昭和47.9.1 |
お手まき会場の整備に着手した。 |
昭和47.9.9 |
「200万本植樹運動」推進要綱を決定し、10月1日から実施することとなった。
合唱隊、吹奏楽隊の参加校別人員が確定した。
自衛隊75名、中・高校生1,485名、県警26名、計1,586名。 |
昭和47.10.20 |
第24回全国植樹祭記念の歌「みんなの緑」の楽譜が完成した。 |
昭和47.11.13 |
第24回全国植樹祭附帯行事「緑と生活」の論文募集を開始した。 |
昭和47.12.14 |
第24回全国植樹祭記念国土緑化切手の発行が郵政省で決定された。 |
昭和47.12.21 |
第24回全国植樹祭招待者を正式に決定した。 |
昭和48.1.12 |
第24回全国植樹祭特別委員会が衆議院議長公邸にて開催され、開催計画が正式に通知された。
県からは、知事、県会議長、林務部長外が出席した。 |
昭和48.1.31 |
第24回全国植樹祭知事表彰決定、被表彰者110名を決定した。 |
昭和48.2.17 |
緑の郷土を創る県民大会、宮崎市で実施される。
第一部緑の大会、第二部緑と生活シンボジューム 参加者1,500名であった。 |
昭和48.3.3 |
第24回全国植樹祭着席位置を決定した。
着席はバス単位のマス席とした。 |
昭和48.3.25 |
第24回全国植樹祭について総合リハーサルを実施した。
お手まき会場整備終了する。 |
昭和48.4.1 |
第24回全国植樹祭荒天会場についてリハーサルを実施した。 |
昭和48.4.4 |
音楽隊最終合同練習を三股町にて実施した。 |
昭和48.4.7 |
全国青年の山造成グループ交歓大会を宮崎市にて実施した。
参会者各県代表350名 |
昭和48.4.8 |
第24回全国植樹祭開催される。(小雨時々曇り) |
昭和48.4.9 |
お手まき行事開催される。(雨) |
昭和48.4.20 |
異動発令、植樹祭準備室は室長以下4名の兼務職員で残務整理にあたることとなる。 |
昭和48.4.23 |
衆議院議長公邸にて第24回全国植樹祭の反省会が開催された。
知事、県会議員、林務部長外担当者が出席した。 |
昭和48.6.18 |
宮崎県全国植樹祭本部を廃止した。 |
昭和48.6.30 |
全国植樹祭準備室を廃止した。 |