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宮 崎 空 港

 

昭和34年

昭和50年

平成11年

 宮崎空港は、昭和18年に旧日本海軍赤江飛行場として誕生。昭和20年には、連合軍に接収され、航空活動が禁止されました。その後、民間航空活動の再開の道が開かれると、宮崎でも空港誘致の気運が高まり、昭和29年の10月に航空大学校の訓練飛行場として、使用されるようになりました。
 同年12月には民間航空機による定期便(大阪〜宮崎)が運航され、宮崎空港が開港しました。最初の写真は、昭和34年のもので、まだ空港として未整備であることがわかります。昭和41年には、1,500mだった滑走路が1,800mに延長され、地方空港では最初にジェット機が就航するなど、まさに空の玄関にふさわしい整備が行われてきました。
 さらに、年々増加する乗降客に対応するために大型ジェット機の就航が必要となり、昭和57年に運輸省は、滑走路を2,500mに延長し、ターミナル部分を拡大する計画を策定しました。中央の写真は、滑走路が延長される前、昭和50年の空港です。 平成2年には、この計画に基づく工事が完成し、新しい宮崎空港が誕生しました。
 平成11年には、国際化に対応するために、CIQ(税関、入管、検疫)関連施設を備えた国際線施設を増設しました。そして、早ければ平成13年6月にも、初めての国際定期便(宮崎〜ソウル)が就航する予定になっています。右の写真は、平成11年のものです。