1.地質の概要

第1表 宮崎県地質総括表(25Kb)

  宮崎県には、先シルル紀ー4.4億年以前ーから完新世に至るまで、 石灰紀をのぞくほとんどすべての地質時代の地層や岩石が 分布している。しかも、それらの分布は地域によって趣を異にしており、宮崎県の地質はかなり複雑な様相を呈している。

  日本列島の地体構造上の区分からみると、宮崎県は西南日本外帯に位置し、県の北西隅は秩父帯に、 他の広大な地域は四万十帯に属する。

  秩父帯に分布する中・古生界のうち、面積的に大部分を占めるのは二畳・三畳系である。 これはかつて二畳系とされていたものであるが、最近各地から三畳紀のコノドント化石が発見され、 地層として二畳系と三畳系を区別することが困難になったため、便宜的に一括したものである。 二畳・三畳系は粘板岩・千枚岩・砂岩を主とし、礫岩・チャート・石灰岩・塩基性火山岩類を伴う。 塩基性火山岩類は秩父帯の北西部にとくに多い。これらの地層は北東ー南西性の一般走向をもち、 この方向にほぼ平行した多数の断層で切られて帯状構造をなしている。

  秩父帯の中央部には、帯状構造にはさみこまれた形でシシルーデボン紀の祇園山層が細長く分布する。 これは主に非変成の粘板岩・砂岩・石灰岩からなり、上部には流紋岩溶岩及び凝灰岩が多い。 祇園山層の北に接して、日本列島の基盤をなしたと思われる先シルル紀の花崗岩・変成岩が小範囲に露出している。 これらはほとんど圧砕されており、おそらく激しい造構運動の末、地下深所からしぼり出されて、 祇園山層とともに二畳・三畳系中にとりこまれたものであろう。

  秩父帯にはこの他二畳・三畳系とは独立した中生層として、三畳系・上部ジュラ系・下部白亜系がある。 三畳系は石灰岩・砂岩・頁岩・チャート・礫岩からなり、上部ジュラ系は頁岩・砂岩及び礫岩からなる。 これらはいずれも大規模な断層に沿って細長いレンズ状をなして分布する。 本来かなり広く分布していた各層が造構運動にまきこまれて寸断され、現在の姿になったものであろう。 下部白亜系は秩父帯の北縁五ヶ瀬町付近に断片的に分布する。これらはいずれも堆積盆地の縁辺相をなし、 北に位置するもの程地質時代が若い。

  四万十帯の先新第三系は、四万十累層群で構成されている。これは二畳・三畳系の堆積盆地の外側に生じた地向斜の堆積物で、 白亜系からなる下部と、主として古第三系からなる上部とに大別される。四万十帯の北西側に分布する下部と南東側に分布する 上部とは著しく低角度の衝上断層ー延岡衝上ーで境される。下部・上部ともに砂岩と泥質岩の種々の規模の互層を主とし 塩基性火山岩類を伴う厚い地層の累積からなり、全般に化石に乏しく、走向断層が多く、複雑な地質構造をなしている。 しかしより詳しくみると、下部と上部とで岩相・堆積環境・地質構造などにかなり顕著な違いがある。 おそらく、白亜紀末〜第三紀初頭に堆積盆地の中心は外側へ移行し、 この時期を通じて後背地では著しい造構運動が進行したものと思われる。

  四万十累層群を強く転移・変形させた造構運動ー高千穂変動ーは中新世前期の末葉にはほぼ終息し、 県北部地域では削剥された秩父帯の中・古生界および四万十累層群下部を不整合に被覆して見立層が堆積する。 これは火成活動の先駆をなした陥没性盆地を急速に埋積したもので、その地質時代は中新世前期の末葉と考えられる。 引き続いてデイサイトー流紋岩および安山岩を主とする数次の祖母山火山の噴出があり、 これらの火成活動の末期に大崩山などの花崗岩花崗斑岩の貫入があった。 大崩山の花崗岩体はその外側に花崗斑岩の見事な環状岩脈を伴う底盤で、地質時代は約1,380万年である。 直県中央西部の熊本県との県境部に分布する市房山花崗岩の地質時代も約1,400万年である。

  県中央東部には見立層の堆積よりやや遅れて庵川層(いおりかわ)の堆積がった。 これは礫岩を主とした地層で、褶曲した四万十累層群上部を不整合に覆い、尾鈴山酸性岩類に不整合で覆われる。 尾鈴山酸性岩類は四万十累層群の顕著な屈曲部に生じた酸性岩類で、流紋岩ーデイサイト溶結凝灰岩及びこれを貫く 花崗閃緑斑岩からなる。このデイサイト溶結凝灰岩の地質時代は約1,500万年である。 酸性岩体の周辺には花崗斑岩の岩脈や岩株が多く、花崗岩の小露頭も点々とみられる。 このうち酸性岩体のすぐ南に分布する木城の花崗岩の年代は約1,300万年で、大崩山花崗岩類とほぼ同時代である。

  この中新世前期末から中期にかけての一連の酸性火成活動の後、県の北部および西部は隆起・削剥の時期に入るが、 中央東部では四万十累層群上部及び尾鈴山酸性岩類を不整合に被覆して宮崎層群が堆積する。 これは東に緩傾斜した砂岩泥岩互層を主とする海成層で、その層相は日南海岸地域と宮崎平野地域とで相違する。 宮崎層群の地質時代は中新世後期から更新世前期に及ぶ。

  宮崎層群が堆積していた当時、霧島火山の外縁部に、鮮新世の火山活動があった。加久藤盆地の北に分布する加久藤安山岩類、 小林盆地の南や都城盆地の北西及び西に分布する安山岩類がこれに相当する。

  宮崎層群の堆積後ーおそらく更新世前期の末葉にー、その堆積盆地の西縁(高岡町西方)に陥没性盆地が生じ、 これを埋積して四家(しか)層が堆積する。同様の盆地は他の付近にもみられる。 それらの位置はいずれも宮崎層群の湾入部にあたっている。四家層を不整合に覆う小林火砕流は流紋岩質の軽石凝灰岩からなり、 小林カルデラ形成に伴う噴出物といわれている。その時期は更新世中期とみなされる。

  更新世後期には、霧島火山地域を中心にして火山活動が旺盛となる。その先駆をなしたのは霧島火山旧期安山岩溶岩の流出で、 すでに更新世中期にその活動をかいししたものと思われる。ついで約11万年前、 この火山の北方から流紋岩質の加久藤火砕流が流出し、溶結凝灰岩を形成した。 その分布範囲は熊本県人吉盆地から鹿児島県に及ぶ。加久藤火砕流の噴出に伴って、霧島火山旧期溶岩を南壁として、 加久藤火山岩類を北壁とする加久藤カルデラが形成された。カルデラに生じた湖−古加久藤湖−を埋積した加久藤層群の最上部を 構成するものは、鹿児島県の姶良(あいら)火山の入戸(いと)火砕流である。 流紋岩質軽石凝灰岩(シラス)を主とするこの火砕流は、県内では小林市の北方を分布のほぼ北限として、 これより南にシラス台地をなして広く分布する。その噴出は約2.5万年前といわれている。霧島火山の新期安山岩溶岩の流出は、 加久藤層群の堆積時にはすでにはじまり、入戸火砕流の流出後も断続的に活動を続け、現在に及んでいる。

  阿蘇火山の活動は更新世中期にはじまる。流紋岩・安山岩溶結凝灰岩および軽石凝灰岩からなる阿蘇火砕流は、 県北部地域の主要河川に沿って分布している。県内における分布の南限は小丸川中流付近で、 大部分は4次にわたる火砕流噴出のうち最末期のものである。その噴出年代は4.3万年より古いとされている。 阿蘇火砕流が姶良火砕流に覆われる関係は熊本県人吉盆地で知られている。

  地質図には示していないが、宮崎平野には汽水性の通山浜層が点々と露出する。 これは宮崎層群堆積後の起伏に富む古地形を埋積したもので、その地質時代は更新世の中期と推定される。 更新世中期から後期にかけて、基盤の段階的な傾動隆起があり、これに伴って数段の平坦面が形成された。 この平坦面を構成するものは礫を主とする高位・中位の段丘堆積物である。阿蘇火砕流の直下にも段丘堆積物があるが、 これらも中位段丘堆積物に含められよう。
 
  更新世後期の末葉には、宮崎平野や加久藤・小林・都城の各盆地、その他各地で低位段丘が形成された。 沖積層は宮崎平野や山間盆地、各河川の流域などに分布している。

  以上の地質を総括して第1表に示す。