4−2 塚 原 衝 上 断 層
塚原衝上断層の位置 |
塚原衝上断層は,宮崎県北部で砂岩優勢の諸塚層群を,南東側の千枚岩優勢の槙峰層群の上へ衝上させている(第4図 52kb).四万十帯白亜系はこの塚原衝上断層を境として岩相および地質構造が異なる.つまり,塚原衝上断層の北西側は砂岩優勢層と乱雑層・泥岩優勢層とが交互に衝上断層で繰り返すのに対して,南東側では基本的に千枚岩が低〜中角度で分布し,一部に片状砂岩,乱雑層,玄武岩質火山岩類を含むだけである.
塚原衝上断層は,諸塚村塚原付近では, 今井ほか(1982)の「諸塚山」地質図幅に示されたよりはかなり低角である.塚原の南西方の神門北方では,塚原衝上断層は南郷村清水岳付近を通る(第17図 97kb).さらに南西方の椎葉村上椎葉南西方では,塚原衝上断層は,砂岩優勢の佐伯亜層群の上椎葉ユニットと,千枚岩優勢の蒲江亜層群の三方岳ユニットとの境をなす(斉藤ほか,1996).塚原衝上断層の傾斜は, 塚原付近で15°〜30°NW,椎葉村大河内北で数°〜30°NW程度である.塚原衝上断層は,熊本県下の多良木町付近で,人吉屈曲の影響を受けて南北走向となり, 小林北西方の苗杉付近へ達する.鹿児島県下では,塚原衝上断層は,高隈山層(寺岡ほか,1981a;小川内・岩松,1986)分布域と,薩摩半島の砂岩優勢の白亜系四万十累層群川辺層群(橋本,1962b;村田正,1992)の間を通るが,詳細な位置は不明である.
塚原衝上断層は諸塚村塚原の北東延長では,日之影町日之影から東方へ延び, 大崩山環状岩脈によって切られる.環状岩脈内とその北東側の地域では, 北西側に長石質砂岩,南東側に石質砂岩が分布することから, 塚原断層は日之影付近から北東方向へ延び,蒲江断層によって変位した後,「蒲江」図幅地域の北西部へ延びると考えられた(宮崎県,1981;奥村ほか,1985;寺岡・奥村,1992;寺岡ほか,1994).さらに,塚原断層は大分県佐伯市南方へ延び,長石質砂岩を含む佐伯亜層群と,石質砂岩を含む蒲江亜層群とを境する境界断層とされた(寺岡ほか,1990).しかしながら,以下に述べるように,塚原衝上断層はこれらの位置よりもさらに南側を通ると考えた方がよいと思われる.
環状岩脈内では,寺岡ほか(1994)によって示された塚原断層の南側にも,厚い砂岩層を主とする地層が分布しており,この北東延長の「蒲江」図幅地域では八戸層とされている(奥村ほか,1985). つまり,砂岩優勢層の南限は,寺岡ほか(1994)の塚原断層の位置ではなく,それよりも南側の北方町二股北方から北川町熊田,北浦町古江北方を通り,それよりも南側では厚い砂岩を伴わない千枚岩を主とした地層が分布する(第16図 128kb).この砂岩優勢層の南限は断層であり,東北東走向で,環状岩脈内で12°〜26°N,古江北方で12°〜30°Nの傾斜をもち, 環状岩脈南西の諸塚村塚原付近の塚原衝上断層と同様の傾斜をもつ.また,この断層を境として,両側の地層は斜交して切られた分布を示す(村田,1998a,b).さらに,環状岩脈内の砂岩優勢層は,厚い砂岩層と,泥岩を主とする地層が交互に分布しており,塚原から日之影までの塚原衝上断層の北西側と同じ分布パターンがみられる(第16図).この砂岩優勢層の南限の断層を塚原衝上断層としたほうが,砂岩優勢層,千枚岩優勢層の分布パターンが,椎葉村上椎葉から日之影町までの塚原衝上断層の両側の分布パターンと整合性があると考えられる.なお,塚原衝上断層は環状岩脈に沿って,8 kmに達する走向隔離をもつが,後述のように,この大きな値は,環状岩脈の内側が500 m程度下降しただけで説明される(村田,1998a).
砂岩組成による地層の区分について |
諸塚村塚原や椎葉村上椎葉南方付近では,塚原衝上断層の北西側の銚子笠,不土野,上椎葉の各ユニットは長石質砂岩からなる(斉藤ほか,1996).一方,衝上断層の南東側の三方岳ユニットは,変成作用が進んでいるため不正確なモード値になっているとのことだが,石質砂岩からなるとされている(斉藤ほか,1996).ここでは,塚原衝上断層が,長石質と石質という異なる砂岩組成を持つ地層の境界断層となっているが,三方岳ユニットの一部の砂岩は,組成的には,長石質砂岩であることが, 斉藤ほか(1996)の砂岩組成図に示されている. 一方,寺岡ほか(1994)で示された環状岩脈内の長石質砂岩と石質砂岩の境界の断層は,本書でいう砂岩優勢層の諸塚層群内に位置することになる.これは,周囲の地層の分布状況からみて,塚原衝上断層や延岡衝上断層のように低角なものではなさそうである.また, 寺岡ほか(1994)による長石質砂岩と石質砂岩の境界は,厚い砂岩層と泥岩を主とする地層の分布から示される地質構造とは斜交しているようにみえるが,詳細は不明である(村田,1998a,b).
環状岩脈の北東方でも,長石質砂岩と石質砂岩の境界(奥村ほか,1985)は,砂岩優勢層の諸塚層群内にある.さらに北東方の大分県佐伯市付近では,北西側に長石質砂岩,南東側に石質砂岩が分布するが,両者の境界とされる断層付近では,断層の北西側にも石質砂岩が,断層の南東側にも長石質砂岩が分布することが示されており(寺岡ほか,1990;奥村・寺岡,1988),必ずしも両者の分布域が単一の断層で明瞭に分かれているわけではなさそうである. なお,後述の尾鈴山付近及び,宮崎市西方の内ノ八重の諸塚層群と思われるクリッペの砂岩は, いずれも石質砂岩とされている(木村ほか,1991;木野ほか,1984).また,「末吉」図幅地域の白亜系砂岩も石質であるとされている(斉藤ほか,1993).同じ時代の砂岩でも組成が異なることがあり,異なる時代の砂岩でも似たような組成をとることもありうる.上に述べた長石質砂岩・石質砂岩の変化は,砂岩優勢の諸塚層群内の現象ととらえて,本書でいう槙峰層群を分離して,地層区分を見直したほうがよいように考えられる(村田,1998b).
新たな地層区分による地層の時代について |
これまでに産出している放散虫のデータを,塚原衝上断層を境として本書でいう砂岩優勢の諸塚層群と千枚岩優勢の槙峰層群に二分した場合,諸塚層群は,佐伯図幅地域ではバランギニアン〜バレミアンとセノマニアン,サントニアン〜カンパニアン中頃,蒲江図幅およびその周辺地域ではアルビアン〜セノマニアン,コニアシアン〜サントニアン,椎葉村図幅地域ではアプチアン〜セノマニアンとなる.また,槙峰層群は,時代決定に有効な放散虫化石の産出は乏しいが,五ヶ瀬川流域でのカンパニアン,椎葉村図幅地域でアルビアン〜チューロニアンという時代になり,両層群とも,カンパニアンに及ぶことになる. また,砂岩優勢の諸塚層群の中で,北西側の長石質砂岩の分布する地層よりも,南東側の石質砂岩の分布する地層のほうが全体として若い(寺岡・奥村,1992;寺岡ほか,1994)ということは従来通りである.