4−3 延岡衝上断層および塚原衝上断層のクリッペと変位量
宮崎県中部では,延岡衝上断層本体の通る南郷村神門北方から,衝上方向である南東方向へ15 kmも離れた木城町尾鈴山付近に,大規模なクリッペが存在する(村田,1991;木村ほか,1991;村田,1996)(第4図 52kb,第17図 97kb).クリッペの位置での延岡衝上断層は,15°〜20°SEまたはEで,日向灘の方に向かって傾斜している. 現在の衝上断層の日向灘側への傾斜は,尾鈴山火山−深成複合岩体の溶結凝灰岩の噴出によって,この付近が沈降していることが考えられるが(木村ほか,1991),基本的には下盤の日向層群にもみられる褶曲の影響もあると考えられている(村田,1996).宮崎県南部でも,古第三系日向層群の東側(日向灘側)に, 延岡衝上断層本体から約15 km離れた宮崎市西方田野町付近に,内ノ八重クリッペが存在する(村田,1991)(第4図
52kb).ここでも延岡衝上断層は,45°Eで日向灘側に傾斜している. このクリッペの部分は,水平に近い延岡衝上断層で北西から移動してきて,その後の南北性の背斜構造の東側に位置していた影響で,下盤の日向層群とともに日向灘側に傾斜したと考えられた(村田,1991).尾鈴山付近のクリッペを利用して,延岡衝上断層の水平変位量を見積もることができる.南郷村神門北西方の延岡衝上断層本体の地表での最も北西縁と,尾鈴山付近のクリッペの南東縁との間の距離が,衝上断層の水平変位量の最小値となり,その値は約24 kmである.また,熊本県下の人吉屈曲の延岡衝上断層の本体から,内ノ八重クリッペまでを利用すると,延岡衝上断層の変位量の最小値は,約60 kmにも達する(村田,1991,1996).
同様に,塚原衝上断層による諸塚層群のクリッペが,木城町尾鈴山付近の延岡衝上断層によるクリッペの上位に存在する(村田,1996)(第18図 78kb).この付近での塚原衝上断層は,延岡衝上断層と同様,15°〜20°SEまたはEで,日向灘側に向かって傾斜している.また,宮崎県南部の内ノ八重クリッペの東側つまり上位には,砂岩を主とする地層が分布しており(第18図 78kb),これは尾鈴山付近と同様,塚原衝上断層によるクリッペの可能性がある.なお,尾鈴山付近と内ノ八重のクリッペ部の諸塚層群は石質砂岩であり,諸塚層群本体の南東部の砂岩と同様である.
塚原衝上断層の変位量は,椎葉村大河内北西方の半地窓の北西縁と,尾鈴山付近のクリッペの南東縁の間の距離を,北西から南東の衝上方向へ投影すると, 最小値でも30 kmに達する.内ノ八重付近の東縁部の砂岩が,塚原衝上断層によるクリッペとすると,塚原衝上断層の変位量の最小値は60 kmになる可能性がある.
四万十帯の地層は,インシーケンス衝上断層(in-sequence thrust)でデュープレックスを作りながら付加したと考えられるため,それらを切る延岡衝上断層や塚原衝上断層は,アウトオブシーケンス衝上断層(out-of-sequence thrust)(Morley, 1988;木村,1997)ととらえることができる.延岡衝上断層や塚原衝上断層は,変位量の最小値でも60 kmあるいは30 kmもある大規模なもので,上盤・下盤相互の間には,同じ時代の地層が存在するものの,原岩の岩質まで対応する地層は存在していない.両衝上断層は,主分布域ではそれぞれ,10°〜20°NW,10°〜30°NWの傾斜であるが,尾鈴山付近と内ノ八重付近のクリッペの存在を考えると,現在の日向層群分布域の上では,断層面はほぼ水平になっていたことが分かる(第17図 97kb).これらの衝上断層の上盤は,付加体深部から10°〜30°程度の傾斜で上昇し,浅部で水平になるランプ(ramp)とフラット(flat)のような関係になっていたことが考えられる(村田,1998b).
宮崎県中部の尾鈴山付近と南部の内ノ八重付近に,延岡衝上断層によるクリッペや,塚原衝上断層によるクリッペが存在することは, かつて,槙峰層群からなるナップも, 古第三系日向層群を広く覆っており(村田,1991),さらにその上には塚原衝上断層によるナップがほとんど水平に覆っていたことを意味している.延岡衝上断層や塚原衝上断層は,60 kmあるいは30 km以上の変位量を持つことから考えても,九州の低角なナップ構造は,基本的に四国西部へも連続すると思われる(村田,1998b).このように考えた場合,本書でいう九州の諸塚層群は,四国西部では下部四万十層群(寺岡ほか,1994)に相当し,槙峰層群に相当する白亜系は分布していない(村田,1998b).四国西部の諸塚層群相当層は,日向層群相当層の上部四万十層群(寺岡ほか,1994)あるいは幡多層群,室戸半島層群と,高角の中筋構造線で接している(平ほか,1980;田中,1980).