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宮崎大学農学部と総合文化公園

 

【昭和57年】

【平成11年】

 宮崎大学は、旧制の農林専門学校、師範学校、青年師範学校、工業専門学校を包括し、昭和24年に発足しています。教育学部、農学部、工学部がありましたが、各学部が分散し、敷地面積も狭かったために、昭和47年に移転統合の基本方針が決定されました。
 その後、宮崎市木花地区と清武町に宮崎学園都市を建設することが決まり、宮崎大学も学園都市の中核施設として移転することになりました。昭和59年から農学部の移転が始まり、昭和63年の9月には学園都市への移転がすべて完了しました。左の写真は、移転が始まる前、昭和57年の宮崎大学農学部の敷地の様子です。
 この宮崎大学の跡地をどのように利用するかが検討されてきましたが、県では、昭和58年に、置県100年の記念事業の1つとして、農学部の跡地に総合文化公園を建設する計画を発表し、整備を進めることになりました。
 その結果、昭和63年には県立図書館が、平成5年には県立芸術劇場が、平成7年には県立美術館が完成しました。16.5haの広大な敷地に緑の公園と一体となって建つこれらの建物は、宮崎の文化の中心となる施設にふさわしい内容になっています。右の写真は、総合文化公園の平成11年の様子です。大学の跡地は、こんなに素晴らしい公園に生まれ変わりました。