宮崎県季刊誌創刊夏号Jaja
 【特集】堂々、本格焼酎>>宮崎焼酎の概略蔵元を訪ねて蘊蓄知事、焼酎を語る蔵元セレクション

蔵元を訪ねて 蔵元を訪ねて

宮崎の本格焼酎は、数多くの銘柄があり、それぞれの奥深さがある。いくつかの蔵元たちに焼酎に懸ける想いを語っていただいた。

国産大麦100%へのこだわり。神話の里から良質の焼酎を
神楽酒造株式会社(高千穂町)

「値引きを手段にせず、企画で勝負する」高千穂町岩戸にある神楽酒造の社長室にはこんな言葉が掲げられている。「いいものを大事に売りたいという思いが込められているんです」と社長の佐藤公一さん。市場動向を知るために、営業マンは飲食店やホテルを直接セールスに回り、足で稼いだニーズを製品に反映している。旧国鉄トンネル跡地を利用した「トンネルの駅」での樫樽長期貯蔵や、業界初となるショットボトル(350アルミ缶)化なども、営業マンの努力が実を結んだその一つだ。

企画で勝負するには、商品自体に魅力があることが重要だ。代表銘柄である麦焼酎『ひむかのくろうま』は発売以来、品質を保つために一貫して国産大麦100%使用にこだわっている。麦の主な供給元である熊本県では、蔵の呼びかけで、地元の農家やJA等による「くろうま会」という親睦グループを組織し、ここに社員も加わり、定期的に麦生産に関する意見交換を行っている。

佐藤公一氏「やはり安全・安心が一番です。『くろうま』の麦はどこで造られたのかと聞かれたとき、はっきり答えられる商品でありたい。本格焼酎の需要が高まるにつれ、県外他社との競争も激しくなっていますが、今後も生産者の方とのコミュニケーションを密に、営業力も強化しながら、質の高い焼酎を提供できる体制を整えたいと思います」(佐藤さん)

いいものを大事に売る。それはこの蔵の生産者・消費者に対する最大の敬意であり、サービスであるのだろう。
 
ひむかのくろうま 原料の麦
↑麦焼酎『ひむかのくろうま』。国産大麦100%使用。 ↑原料となる麦を蒸したもの。麦の香ばしい香りが広がる。
貯蔵庫に眠る樫樽 ←高千穂町下野「トンネルの駅」の貯蔵庫に眠る樫樽。トンネル内は常時室温17度C、湿度70%前後で、原酒の熟成には最適という。
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旨い焼酎の基本は水にあり。県内で最も歴史の古い酒造場
姫泉酒造合資会社(日之影町)

もち米を使った焼酎「やま里」 杜氏の阿南正さん
↑もち米を使った焼酎「やま里」米焼酎にはない甘さと香りが特長。 ↑仕込みをする杜氏の阿南正さん。手づくりの良さが残る姫泉酒造の焼酎に惚れ、蔵に入ったという。
蔵2階 ←蔵ではかつて清酒づくりも行われていた。蔵の2階には当時の道具が残る。
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「酒づくりの命はなんといっても『水』。先祖がこの場所に蔵を構えたのも、いい水が採れるという理由に尽きるでしょう」。酒造場のすぐ裏手、五ヶ瀬川を挟んだ対岸の岩山にある水源地を指して、姫泉酒造の代表・姫野健夫さんは話す。

姫野健夫さん
対岸からホースを引き込み利用している。蔵が1日では使い切れないほど大量の水が湧き出るという。

創業は天保2年(1831年)と県内の酒蔵の中では最も古い歴史をもつ。岩山から引き込まれる自慢の水は、千数百年前の阿蘇の大噴火でできた岩層をくぐった湧水で、適度なミネラル分を含み、味はすっきりとまろやか。同蔵の仕込み水、割水(原酒を薄めるときに使う水)には、すべてこの水が用いられている。

従業員7名の小さな蔵だが、大きい蔵にはできないことをやろうと新たな商品づくりにも情熱を燃やす。その一例が「もち米」を使った焼酎。もち米は普通の米に比べ、粘着性が高いため、原料を蒸して冷まし、もろみと仕込むまでのタイミングが難しい。「ベタベタにならないように、目で見て、手で触って、今というタイミングで仕込む。この判断は機械ではできません」と姫野さん。今までにないものを生み出そうとする挑戦心と、手づくりの良さを生かした焼酎づくりがこの蔵の真骨頂。2000年の宮崎サミットで、長期貯蔵麦焼酎『天保二年』がレセプション用に採用されたのもこうした努力の賜物だ。


焼酎のパイオニアがめざす、人・自然・環境が調和したものづくり
雲海酒造株式会社(宮崎市)

焼酎が全国に広がるきっかけとなった、'70年代の第1次焼酎ブーム。その牽引役となったのが、そば焼酎『雲海』だ。'67年(昭和42年)に従業員7人でスタートした雲海酒造は、'73年、五ヶ瀬町の特産品であるそばを原料に日本で初めてそば焼酎『雲海』を開発。ソフトな飲み口で、関東・関西のビジネスマンの間でも大きな支持を得た。「美味しい焼酎になる何か新しい原料はないか」という探求から生まれたそば焼酎。飲み手本位の焼酎造りへの姿勢は今も変わらず、現在では、県内メーカー第1位、全国の本格焼酎市場でも第2位の業界最大手に。

小室文昭さん「今、焼酎は『銘柄』よりも『蔵』そのものが評価されています。蔵を支えるのは、安全で質の高いものづくりを行う『人』であり、いい水、いい空気などを育む『自然・環境』です。質の高い焼酎を造るために環境を守ることは、企業の責任であると考えています」(同社マーケティング部長・小室文昭さん)。

全国区焼酎のパイオニアが次に目指すのは、「造り手の顔がみえ、自然と調和した」焼酎づくり。杜氏の横顔や焼酎の造り方、原料などを細かく記したパンフレットを作成しているほか、環境面の取り組みとして、焼酎粕を自社で肥料化・飼料化するプラントもいち早く整備した。『雲海』というブランドを全国区に育てた雲海酒造が、今、原点に立ち返り、蔵としての誠実なものづくりへの姿勢そのものを、全国に発信している。
 
そば焼酎『雲海』 そばの花
↑そば焼酎『雲海』。やわらかい香りと軽快な飲み口で全国に支持される。 ↑雲海酒造綾工場(綾蔵)がある『酒泉の杜』に咲くそばの花。
焼酎粕の肥料化プラント ←焼酎粕を肥料化するプラント。自社でリサイクルを行っている。
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麹の原料となる米まで手造り。心まで酔わす焼酎を目指す
明石酒造株式会社(えびの市)

芋焼酎『めいげつ酣々』 樫樽貯蔵
↑減農薬栽培よる米を麹に使った芋焼酎『めいげつ酣々』。 ↑蔵では樫樽貯蔵・甕貯蔵にも取り組んでいる
明石酒造 ←創業は明治24年(1891年)。110年以上の歴史を刻んできた明石酒造。
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  えびの市は、鹿児島県にも近いことから、昔から本格焼酎が飲まれていたのだろうと想像していたが、昭和初期までは甲類焼酎が中心で、しかも県外の酒が多く飲まれていたという。「地元の蔵で地元で飲まれる本格焼酎を」と、'50年(昭和25年)、芋焼酎をベースに、米焼酎をわずかにブレンドした本格焼酎『明月』を発売。喉越しが良く、すっきりとした後味で多くの支持を得ている。

明石秀人さんもともと農業のかたわら、酒づくりを始めた蔵だけに、『農』への思い入れは深い。4代目である明石秀人さんも、暇をみつけては、所有する田に足を運び、農作業に勤しむ。5年前からは社員総出で田植えをし、減農薬による米づくりを始めた。ここで作られるえびの産ヒノヒカリを麹に使用した芋焼酎『めいげつ酣々(かんかん)』は、飲み口のすっきり感と香りの良さで、「夏場にロックで飲める焼酎」として、人気銘柄になっている。

「少々クセはあるけれど、香りがよく、甘みがあるのが芋焼酎。最近の焼酎ブームで、都会の人にも受け入れられているのはうれしく思います。おかげさまで県外からの注文も増えていますが、今以上に設備を大きくするつもりはありません。これまで同様、地元の人が気軽に飲める酒として、じっくりといいものを造っていきたいと思います」と話す明石さん。社是であり、蔵のキャッチフレーズである「心まで酔わす」焼酎づくりはこれからも続く。

原点回帰でよみがえった黒麹が、本格焼酎の新しい魅力を開く
霧島酒造株式会社(都城市)

黒麹仕込みの本格焼酎が人気だ。現在では、多くの蔵が黒麹焼酎を発売し、芋焼酎人気を支えているが、『黒霧島』こそがこのブームの立て役者だ。

黒麹は、焼酎のルーツとされる泡盛に用いられている麹で、大正5年、創業者江夏吉助が最初に世に送り出した焼酎も黒麹仕込みだったが、後に刺激臭の少ない白麹に取って代わられ、昭和24年以降、長きにわたって姿を消す。『黒霧島』が発売された'98年は、折しもプレミア本格焼酎が注目を浴びだした頃。「においが苦手」という芋焼酎のマイナスイメージをどうしたら払拭できるか、難産の末に誕生したのが『黒霧島』である。

松尾忠洋さん「現在の技術で、黒麹仕込みの焼酎を造るとどんな味になるのか。まさに手探りの状況での再現でした。」と霧島酒造企画室の松尾忠洋さんは、当時を振り返る。'99年からは全国販売も開始し、『黒』を前面に打ち出す販売戦略で、福岡を中心に人気を博す。'02年にはテレビ番組で紹介され、全国的な人気に一気に火がついた。「最初は男性的でボディ感のある味を想像していたら、意外にも飲んでみると非常にまろやかで、これなら芋でも飲めると女性からの反応も良かったんですよ」

今では酒税法でも正式に認められている『本格焼酎』という呼び方を提唱したのは、前社長 江夏順吉だ。巡り合う歴史が生んだ『黒霧島』。古くて新しいこの焼酎を飲めば、焼酎のルーツが味わえる。
 
黒麹仕込みの『黒霧島』 霧島酒造
↑黒麹仕込みの『黒霧島』。コクと深みのある味が特長。 ↑霧島酒造の平成15年度の総出荷石数は15万8000石。このうち97%が芋焼酎で、芋焼酎の出荷石数では全国一位。
霧島創業記念館「吉助」 ←霧島酒造志比田工場の敷地にある霧島創業記念館「吉助」。創業当時の社屋が再現されている
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甕による長期貯蔵に情熱を注ぐ
井上酒造株式会社(南郷町)/櫻の郷醸造合名会社(北郷町)

長期甕貯蔵酒『無月』 榎原湧水
↑長期甕貯蔵酒『無月』。芋、米、麦の3種類がある。 ↑井上酒造の敷地内にある榎原湧水。「宮崎の名水21選」にも選ばれた。
櫻の郷醸造 ←櫻の郷醸造に眠る大甕の数々。高温で焼かれた甕は赤外線効果で熟成を促し、味をまろやかにするという。
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  寺田徳男さん「焼酎は麹、酵母、蒸留、ろ過などあらゆる面で技術が進歩し、以前より断然美味しく、飲みやすくなりました。」こう語る井上酒造と姉妹蔵・櫻の郷醸造の代表・寺田徳男さんは、創業者の子息・井上利行氏が興した大阪の鉄鋼会社に18年間勤務していたが、利行氏からの要請で井上酒造に出向、'79年に社長に就任した。会社時代に身につけた経営感覚と、既成概念にとらわれない自由な発想で、当時、常圧蒸留が主流だった焼酎づくりに初めて減圧蒸留を採用。芋焼酎『飫肥杉』のさわやかで軽快な飲み口は、多くの人を魅了している。

また、コンピュータ制御による近代的な製造ラインを20数年前にいち早く導入する一方で、最近では、地域の焼酎文化を継承すべく、昔ながらの蔵を再現した「焼酎道場」も開設し、社内スタッフや関係者の研修の場として開放している。そんな寺田さんが今、もう一つ大きな理想を掲げて取り組んでいるのが、大甕による焼酎の長期貯蔵熟成だ。

「焼酎がウイスキーなどと同じ税率になった今、焼酎が世界の蒸留酒と肩を並べ、勝ち残っていくために残された手段は、東洋の長期熟成酒の原点でもある甕貯蔵であると思っています」と寺田さん。櫻の郷醸造にある三階建ての貯蔵庫には、全国でも類をみないという一基500リットル・計3000基の大甕が蔵出しの時を待ち、静かに眠っている。

農業の延長線上にある焼酎づくり。原料にこだわり個性を放つ
京屋酒造有限会社(日南市)

日南市の郊外を西に車を走らせると、一面に広がる唐芋畑が見えてくる。9町歩(9ヘクタール)ほどの畑で作られているのは、京屋酒造の人気銘柄『甕雫』、『時代蔵かんろ』、『平八郎』などの原料となる紅寿(ベニコトブキ)だ。

渡邊眞一郎さん芋焼酎の代表的な原料である「黄金千貫(コガネセンガン)」に比べ、単位面積あたりの収穫量は少ないが、「香りも味もよく、この芋で造った焼酎は私自身気に入っています」と京屋酒造代表の渡邊眞一郎さんは語る。コストを承知のうえで、自社で農業生産法人を設立し、有機無農薬に取り組んでいるのは、「農薬散布は社員の体に大きな負担がかかるため、健康を考えてのこと。また焼酎は本来、農産加工品であり、焼酎づくりは農業の延長線上にあることを自分たちがしっかり認識しておきたい気持ちから」だという。

生産量は年間約2500石(1升瓶25万本分)と小規模な蔵であるが、「味」で明確に訴えられる商品を造ろうと、原料以外にも、芋の皮のむき方やヘタの処理などを工夫。麹や蒸留法などもアレンジし、現在は芋焼酎だけで5種類ある原酒をブレンドして造られる焼酎はそれぞれに個性を放つ。

最近では、全国のコンビニでも販売を開始。「世の中はボーダーレス。小さい会社でも全国に出ていける時代です」と渡邊さん。質を重視し、付加価値の高いものづくりを行うこだわりの姿勢は、これからの農業にも元気を与えてくれることだろう。
 
芋焼酎『時代蔵かんろ』 『甕雫』用の竹柄杓
↑食用にも用いられる「紅寿」を使った芋焼酎『時代蔵かんろ』 ↑『甕雫』用の竹柄杓。焼酎を柄杓ですくって飲む新スタイルを提案した。
仕込み甕 ←創業は天保5年(1834年)。昔ながらの仕込み甕が歴史を感じさせる。
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