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2000年シドニーオリンピック。1回戦からオール一本勝ちで金メダルを手中に収めた、井上康生選手の勇姿と、亡き母の遺影を掲げて表彰台に立つ姿は、私たちの記憶に今でも鮮明に残っている。まさに彼が信条とする「攻めの柔道」を目の当たりにした瞬間だった。そして4月に行われた全日本体重別選手権100kg以下級で優勝、再びオリンピックへの出場切符を手にした。日本の若きエースとしてオリンピック2連覇が期待される彼に、柔道への思い、ふるさと宮崎への思いを語ってもらった。 家族の絆に支えられた宮崎時代柔道は、父・明さん(元宮崎県警・五段)の影響で5歳から始めた。当初は「遊びのようなもの」だったというが、明さんが息子の才能に気いたのは小学4年生の時。平和台公園(宮崎市)の156段ある石段を、明さんを背負って登りきり、天性の足腰の強さと負けず嫌いの性分に、わが子ながら度胆を抜かれる思いだったという。それが小学5年生、6年生、中学2年生、3年生時の全国大会優勝につながっていく。 「父はとにかく厳しいコーチでした。道場では『先生』と呼ばせていましたし、殴られたり、蹴られたりもしました。ただ、家に帰ると優しい父親で、一緒に風呂に入ったりテレビを見たり。このあたりの切り替えは、今にして思うとすごいと思います。それから母が底抜けに優しい人でしたので、父の厳しさの分を補ってくれたといいますか、父母それぞれの役割の中で大事に育ててもらったのだと思います」 東海大相模高校を卒業する時、柔道部の送別会で「恩師は井上明です」と挨拶して父を泣かせたエピソードがある。また、シドニーオリンピックの表彰台で、亡き母の遺影を掲げていた姿に感動した人も多いだろう。彼の周りにはいつでも深く温かい家族の絆があり、それが今でも井上選手を支え続けているようだ。 8月19日、アテネ本番アテネオリンピックに向けての抱負を聞いてみた。 そして、ふるさと宮崎への思いひさしぶりの帰郷で、自宅の居間にくつろぐ井上選手はとても穏やかな表情だ。 挑み続け、勝ち続け、なお勝つために攻め続ける自身の柔道の、一つの金字塔となるオリンピック二連覇に向けて、わずかに与えられた休息の時を、ふるさとは優しく包んでくれたようだ。8月19日、宮崎が世界に誇る星、井上康生選手がアテネで輝くことを期待しよう。(5月16日、26歳になった誕生日の翌日、宮崎の自宅にてインタビュー)
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