宮崎県内には先覚者達にまつわる場所が数多く残されています。
先覚者にまつわるスポットを巡るためのオススメコースをご提案いたします。
1831(天保2)年に飫肥藩13代藩主・伊東祐相が、元々あった学問所を大きく増改築し、中国の孟子の教えから校名を「振徳堂」と名付けました。儒学者の安井滄州・息軒父子が城下に招かれ、藩校の基礎が築かれます。 国の行政機関で活躍した後、西南戦争で飫肥隊を率いて「飫肥西郷」と称された小倉処平や、日本外交の礎を築いた小村寿太郎などもここで学びました。