第3章 自然景観と地質
2.海 岸
本県の海岸地形は、第三紀末に起こったと思われる地塊運動と更新世末の海退、及び沖積期の海進と、その後の海退ないし沖積作用によって、現在の骨格がほぼ形成されている。海岸線の屈曲は、地塊運動時の地盤の差別的な変位と、その後の差別的侵食とによって生じたものであり、砂浜海岸は主に河川による土砂の供給と波食とのバランスの上に成立しているものである。
宮崎平野海岸
青島から美々津に至る約60kmの間は、ほぼ直線状の砂浜海岸である。かつての入江が埋め立てられて現在の単調な海岸線ができあがったのは過去数1,000年間の沖積作用、すなわち大淀川・一ツ瀬川・小丸川・耳川などによる土砂運搬の累積結果である。入江の消滅と海岸線の単調かは海上交通の邀撃を尾鈴山酸性岩海岸に譲る一方、尾丸川河口以南に形成された新しい沖積平野に開拓の新天地が開かれる結果となる。海岸線沿いには砂丘が発達し、とくに一ツ瀬川と大淀川との間には2〜3条の砂丘と潟湖の名残りや後背湿地帯が見られる。古来、砂丘は居住地、後背湿地は水田地帯として利用されてきた。砂丘の地下水は小集落の飲水をまかない、水田地帯の水を涵養する。阿波岐原の「みそぎ」の伝説は、既に生活舞台となっていた砂丘の安定と潟湖の名残りを物語っている。
砂浜堆積物や砂丘堆積物は主に北から南に向かう沿岸流によって移動しているらしく、耳川河口と尾丸川河口の間には尾鈴山酸性岩類起源の砂礫が多く、青島海岸には大淀川や清武川から吐き出されたと見られるシラス起源の軽石粒が混ざっている。最近の一ッ葉海岸の侵食は著しく、海岸線の後退が目立つ。砂丘はやせ細り、砂丘の一部までが直接暴浪に洗われて崩壊し、砂丘崖となっている状態は新潟海岸砂丘の侵食ぶりを思わせる。一般に諸河川からの土砂は移出量の減少と海浜沿岸における土砂移動の阻害は海岸侵食の大きな要因と考えられる。宮崎平野海岸に再び”縄文海進”が起こらぬことを願ってやまない。