第3章 自然景観と地質
2.海 岸
本県の海岸地形は、第三紀末に起こったと思われる地塊運動と更新世末の海退、及び沖積期の海進と、その後の海退ないし沖積作用によって、現在の骨格がほぼ形成されている。海岸線の屈曲は、地塊運動時の地盤の差別的な変位と、その後の差別的侵食とによって生じたものであり、砂浜海岸は主に河川による土砂の供給と波食とのバランスの上に成立しているものである。
北 部 海 岸
美々津から北方の大分県境に至る海岸は、尾鈴山酸性岩類と四万十累層群の堅い岩石が直接日向灘に没し、岬と湾、荒磯と砂丘が繰返され、沖合の島と相まって再び変化に富む景観を見せている。尾鈴山酸性岩類の海岸は先づ美三津湾に始まり、七ツバエ・金ヶ浜・お倉ヶ浜へと続く。お倉ヶ浜の蛤は日向碁石として加工されてきた。蛤はお金とお倉のうち正直者のお倉に与えられていたものだという。細島半島に移って伊勢ヶ浜と御鉾ヶ浦は柱状節理の断崖に挟まれた白砂青松の砂浜である。南北浦海岸に迫る四万十累層群の白亜系は、砂岩・粘板岩・千枚岩・塩基性岩類、それぞれの岩質に応じた差別侵食を受けてリヤス式海岸を作り、農後水道へと連なる。南北浦海岸は六ヶ浦海岸とも呼ばれる。浦城・熊野江・島野江・古江・市振・宮野浦がそれで、砂浜海岸と自然の良港に恵まれ、海水浴のメッカ、漁業の根拠地となっている。北浦湾・島野浦一帯では亜熱帯性の海中景観が見られる。近くに浮かぶ高島はビロウ樹林の北限である。
美々津−岩脇の金ヶ浜海岸
ここでも透明な水質をめぐって産業との共存が模索されている。何れにしても、一度失われた透明な海底と清浄な砂浜は再び戻ってはこないであろう。自然景観は一朝一夕にして作り上げられたものではない。