大崩山火山−深成複合岩体

 宮崎県最北部の,大崩山から祖母山・傾山にかけては,第三紀の中期中新世の大崩山火山−深成複合岩体が存在し,大崩山花崗岩体,環状岩脈(第5図 65kb)およびその他の岩脈が,秩父帯の地層と,四万十帯の諸塚層群・槙峰層群を貫いている(寺岡ほか,1981b;宮崎県,1981;Takahashi, 1986 ).この花崗岩からは,約1400万年前(13.7±0.8 Ma)の放射年代値が得られている(柴田,1978;Shibata and Ishihara, 1979).祖母山,傾山に分布する火山岩は,祖母山・傾山火山岩類と呼ばれ,主にデイサイト〜流紋岩火砕流・溶岩からなる(Takahashi, 1986).この火山岩類の下位には,見立層と呼ばれる主として礫岩からなる地層が分布し,秩父帯,四万十帯の地層を傾斜不整合で覆う(斉藤ほか,1958).見立層は,古第三系と考えられているが(宮久ほか,1971;唐木田,1992),化石による証拠は得られておらず,新第三系中新統の可能性もあると考えられる. 従来から分布が知られていた日之影町五葉岳北方や日隠山付近,北川町矢立峠付近以外に,北川町熊田西北西5 kmの和久塚付近でも見立層と思われる礫岩がまとまって分布している.


第5図 大崩山火山−深成複合岩体の環状岩脈
拡大図(65kb)

 大崩山花崗岩体は,古期花崗岩類と新期花崗岩類とに分けられ,前者は花崗閃緑岩,花崗斑岩から,後者は花崗閃緑岩,花崗岩からなる(Takahashi, 1986).これらの花崗岩体は,秩父帯,四万十帯の地層に接触変成作用を与えており,花崗岩体を取り巻いてホルンフェルスが分布する.この花崗岩体は,その周囲に花崗閃緑斑岩,花崗斑岩からなる岩脈を伴う.この中で, 大崩山花崗岩体を取り囲む環状岩脈は,全体としてみると西北西−東南東の方向に延びたいびつな楕円形のような形をしており,一部は大分県側に露出する(Takahashi, 1986;宮崎県,1981).

尾鈴山火山−深成複合岩体

 宮崎県中部の都農町尾鈴山付近には, 中期中新世の尾鈴山火山−深成複合岩体が存在する(木野,1956;野沢・木野,1956;中田,1978;Nakada,1983;木村ほか,1991).尾鈴山付近に分布するものは,デイサイト〜流紋岩溶結凝灰岩で,溶結凝灰岩I,溶結凝灰岩IIの二つに分けられ,諸塚層群や日向層群を不整合で覆う(中田,1978).溶結凝灰岩の下位には,庵川層と呼ばれる礫岩層が伴われ,これも日向層群などを不整合で覆っている(中田,1978;木村ほか,1991).溶結凝灰岩I,IIを貫いて,美々津花崗閃緑斑岩が存在する.尾鈴山の南西方には,北北西方向に細長く岩脈状に延びる木城花崗閃緑岩が存在し,周囲の日向層群に接触変成作用を与えている.また,周囲の日向層群中には花崗斑岩,花崗閃緑斑岩の岩脈が見られる.さらに,かなり離れた西米良村村所付近には,村所花崗斑岩と呼ばれる雁行した岩脈が見られる(宮崎県,1989;木村ほか,1991).溶結凝灰岩IIから15±2Ma,岩脈から13±2Ma(Shibata and Nozawa, 1968)などの放射年代値が得られている.

市房山花崗閃緑岩

 宮崎県中部の西端の椎葉村市房山付近には,中期中新世の市房山花崗閃緑岩が分布し,周囲の諸塚層群,槙峰層群,日向層群に接触変成作用を与えている(宮崎県,1989;斉藤ほか,1996).この花崗閃緑岩からは,14±1Maの放射年代値が得られている(Miller et al., 1962). 市房山花崗閃緑岩,大崩山火山−深成複合岩体,尾鈴山火山−深成複合岩体いずれも,約1400万年前のもので同時期の活動とされている(柴田,1978).