3 四万十帯の白亜系・古第三系
四万十帯の地層は、白亜系の諸塚層群・槇峰層群、古第三系の北川層群と、古第三系−下部中新統の日向層群・日南層群に分けられる.
3-1 諸 塚 層 群
分布・岩質 |
諸塚層群は,塚原衝上断層の北西側(上盤)に分布する前期〜後期白亜紀の砂岩優勢層で,宮崎県北東端の北浦町から南西へ,北川町北部,日之影町,諸塚村,椎葉村にかけて広く分布する(第4図 51kb).また, 諸塚層群は,人吉屈曲より南部の小林市西方や, 尾鈴山クリッペ部に分布するほか,宮崎市西方の内ノ八重クリッペ部の東縁の砂岩も諸塚層群である可能性がある.地質概説の章で述べたように,本書で言う諸塚層群は,寺岡ほか(1994)などの,佐伯亜層群と,大崩山環状岩脈地域より東方の蒲江亜層群(寺岡ほか,1990;奥村ほか,1985;奥村・寺岡,1988)の北半部を含んだものである.
諸塚層群は,砂岩および砂岩泥岩互層を主とする地層と,乱雑層および泥岩を主とする地層が,衝上断層で繰り返して分布している.前者は,主に砂岩,砂岩泥岩互層からなり,泥岩を伴う.後者は主として乱雑層および泥岩からなり,玄武岩質火山岩類,チャート,酸性凝灰岩を伴う.
砂岩は中粒〜粗粒で,大部分のものは長石質(佐伯亜層群相当)であるが,北浦町から日之影村までの地域の南東側のもの(蒲江亜層群の北半部)と,尾鈴山クリッペ部,内ノ八重クリッペ部のものは石質であることが示されている(今井ほか,1982;寺岡・奥村,1992;木村ほか,1991).なお,本書のように,諸塚層群と槙峰層群に区分したときの異なる組成を持つ砂岩の分布については,後述の塚原衝上断層の項(4-2)で述べられている.
砂岩泥岩互層は,数cmから30cm程度の砂岩・泥岩がリズミカルに繰り返している. 乱雑層は,泥岩をマトリックスとして,ほとんどの場合,砂岩ブロックを含むが,玄武岩質火山岩類やチャートを含むこともある.特に北浦町北部,日之影町付近,椎葉村に分布する玄武岩質火山岩類は,乱雑層に取り囲まれた様な分布を示しており,ブロックである可能性が大きい. 泥岩は,黒色で薄い砂岩のラミナを伴っている.厚い泥岩は,乱雑層に伴って分布する傾向がある.諸塚層群のすべての岩石において,片状構造の発達の程度は槙峰層群に比べると弱いが,南縁部にはかなり発達しているものがある.
時代 |
寺岡ほか(1994)などの,佐伯亜層群の泥岩・酸性凝灰岩は,「蒲江」図幅およびその周辺地域では,Nakaseko & Nishimura (1981)のHolocryptocanium barbui - H. geysersense群集および, Patellula planoconvexa - Artostrobium urna群集の放散虫を産出し,それぞれ,アルビアン〜セノマニアン,コニアシアン〜サントニアンの時代を示す(奥村ほか,1985).「椎葉村」図幅地域では,多くの層準を示す放散虫化石が得られており,その時代はアプチアン〜セノマニアン(斉藤ほか,1996)とされている.また,五ヶ瀬川流域ではHolocryptocanium barbui - H. geysersense 群集の放散虫が酸性凝灰岩から報告されており,セノマニアンとされている(坂井,1992a).この酸性凝灰岩は寺岡ほか(1990,1994)の佐伯亜層群相当層に頻繁に産出することから,これは佐伯亜層群からのものと思われている(奥村ほか,1985). 佐伯亜層群の内部では,南側に分布するものほど時代が若くなっていることが指摘されている(寺岡ほか,1990,1994;斉藤ほか,1996など).
一方,蒲江亜層群とされた地層の北半部の泥岩から産出する放散虫の年代は,「蒲江」図幅地域ではPatellula planoconvexa - Artostrobium urna群集の放散虫を産出し,その時代はコニアシアン〜サントニアンとされ(奥村ほか,1985),「椎葉村」図幅地域ではアルビアン〜チューロニアンを示す放散虫化石が産出する(斉藤ほか,1996).これらを総合すると, 本書での諸塚層群は,佐伯亜層群と環状岩脈地域より東側の蒲江亜層群の北半部なので,その時代は,「蒲江」図幅およびその周辺地域ではアルビアン〜セノマニアン,コニアシアン〜サントニアン,「椎葉村」図幅地域ではアプチアン〜セノマニアンとなる.なお,大分県の「佐伯」図幅地域では,バランギニアン〜バレミアンとセノマニアン,サントニアン〜カンパニアン中頃の放散虫が報告されている(寺岡ほか,1990).