3-4 日 向 層 群

時代

 日向層群は,乱雑層の形成や,衝上断層による構造的ユニットを形成しているため,本来の層序関係が保持されていない. ここでは, 西郷村荒谷付近の荒谷層の例を少し詳しく説明する.

 坂井ほか(1984)に報告されている放散虫化石のデータを再整理すると, 特定の岩質からそれぞれ特定の時代の化石が産出していると判断される(村田,1995). 赤・緑色珪質泥岩は, Lithochytris verpertilio,Dictyoprora mongolfieriなどを産し,中期始新世を示す(坂井ほか,1984)(第13図 30kb).黒色泥岩は, Dictyoprora mongolfieri,Lychnocanium sp. などを産し,後期始新世を示す.また,乱雑層の泥岩マトリックスは, Dictyoprora mongolfieri, Lychnocanium sp.,Podocyrtis sp.などを産し,後期始新世を示す(坂井ほか,1984).この乱雑層の泥岩マトリックスは,産出化石からみて黒色泥岩と同じ時代を示し,これに由来すると判断される.荒谷よりも南方では,田代層や宇納間層,大内原層(坂井ほか,1984;坂井・艸場,1989)とされた地層は,砂岩,砂岩泥岩互層を多く伴っており,それらに伴われる黒色泥岩や酸性凝灰岩からは,後期始新世〜前期漸新世のDictyoprora mongolfieriなどの放散虫,あるいは前期漸新世(P18〜20)の有孔虫が得られている(坂井ほか,1984).宇納間層や大内原層は,荒谷層の泥岩と同じかそれより若い時代を示すことから,荒谷層の黒色泥岩よりも上位の地層と考えられる.玄武岩質火山岩類はしばしば赤・緑色珪質泥岩に覆われて分布することが,荒谷北西方や荒谷地域南東方の阿切で知られている(今井ほか,1979).

 これらのことから,荒谷層の本来の層序と時代は,下位より中期始新世あるいはそれ以前に玄武岩質火山岩類,中期始新世に赤・緑色珪質泥岩,後期始新世に黒色泥岩,そして後期始新世から前期漸新世に砂岩および砂岩泥岩互層であったと考えられる(村田,1995)(第14図 21kb).乱雑層はブロックとして,上記の玄武岩質火山岩類,赤・緑色珪質泥岩,砂岩を含む. 荒谷層のこのような原層序は,乱雑層の成因が特定できないとしても,海洋地殻上部の玄武岩質火山岩類から,半遠洋性の赤・緑色珪質泥岩,そして海溝充填堆積物としての黒色泥岩,砂岩および砂岩泥岩互層として説明できる.これは日向層群の一部が付加堆積物であるということを(坂井・艸場,1989),さらに補強する重要な証拠となる.ただし,一部の地層は付加堆積物を覆う海段堆積物や前弧海盆堆積物である(坂井・艸場,1989)という考えには,再検討の必要があるという指摘がなされている(村田,1995).

 「尾鈴山」図幅地域の日向層群からは以下のような放散虫化石が報告されている.北部コンプレックスの砂岩ユニットとされた砂岩相の凝灰質泥岩からは, Theocyrtis cf. tuberosa,Tristylospyris cf. tricerosなどが産出し,後期始新世の後半から前期漸新世を示す(木村ほか,1991).これは,烏帽子岳付近に分布する砂岩優勢層からのものである.同じく砂岩層に伴われて分布する赤・緑色珪質泥岩からは, Podocyrtis cf. mitraなどが産出し,中期始新世を示す.また,北部コンプレックスの泥岩ユニットの泥岩からは, Dictyoprora mongolfieriを産出し,中期〜後期始新世を示す(木村ほか,1991).これらの産出化石の時代は,荒谷層での,赤・緑色珪質泥岩,黒色泥岩,そして砂岩および砂岩泥岩互層という中期始新世から前期漸新世の本来の層序と,調和的であると判断される.なお,「尾鈴山」図幅地域の木城町戸崎付近で,北部コンプレックスの含礫シルト岩から,芦屋動物群を示す貝化石の産出が報告されている(木村ほか,1991).

 串間市北方や日南市西方,鹿児島県の松山町付近の,「末吉」図幅地域では,日向層群はいくつかのユニットに分けられており,それぞれ放散虫・浮遊性有孔虫などにより時代の検討がなされている(斉藤ほか,1994). 秦野ユニットはThyrsocyrtis (Thyrsocyrtis) cf. rhizodonを含むことから前期始新世の後期から中期始新世,田之浦ユニットはPodocyrtis (Lampterium) mitraやThyrsocyrtis (Thyrsocyrtis) cf. rhizodonを産することから,前期始新世〜後期始新世,毘砂ヶ野ユニットはDictyoprora mongolfieri, Thyrsocyrtis (Thyrsocyrtis) rhizodonなどを産することから,中期始新世とされている.また,柳岳ユニットはDictyoprora mongolfieri,Thyrsocyrtis (Pentalacorys) cf. tetracanthaを産することから,中期始新世から後期始新世,内ノ倉ユニットはDictyoprora mongolfieri,Thyrsocyrtis (Pentalacorys) triacanthaなどを産することから,中期始新世から後期始新世とされている(斉藤ほか,1994).これらのうち内ノ倉ユニットには,暁新世から前期始新世の地層が,ブロックとして含まれる.この付近の日向層群は宮崎県北部から中部の日向層群よりも,やや古いことが指摘されている(斉藤ほか,1994).また,野尻町から都城市南東方にかけての,砂岩優勢層(鰐塚山層)からは,漸新世の放散虫が報告されている(竹下,1982).

 宮崎県地質図で日向層群分布域に含めたものの中には,県北部門川町の遠見山半島の,芦屋動物群を示す貝化石を産出する門川層群がある.この地層は,乱雑層や砂岩からなっており,前期漸新世の浮遊性有孔虫化石が報告されている(坂井ほか,1984).また,本地質図で日向層群としたものの中には,国富町,綾町北方で,古賀根橋層とされた地層があり,前期中新世の放散虫化石が産出している(三石ほか,1989).また,この付近で山之口層とされた乱雑層優勢層から,後期始新世から前期中新世の放散虫・有孔虫化石が産出する(三石ほか,1989).これらの地層は,後述の前期中新世に及ぶ日南層群と時代的には同じであり,木村ほか(1991),坂井(1992b)は,日南層群の延長と考えているが,地質調査所(1992)では,すべて日向層群分布域に含められている.なお,坂井ほか(1987),坂井(1992b)は,本地質図で鰐塚山から南東方に延びる砂岩優勢層は,日南層群のオリストストローム中の巨大なオリストリスであるとしている.