4−6 槇峰層群の内ノ八重デュープレックス

 宮崎市西方には,四万十累層群の白亜系槙峰層群と考えられる内ノ八重層(竹下,1982;木野ほか,1984;村田,1991)が分布する.内ノ八重層は,その西側にある古第三系日向層群と,東傾斜の高岡衝上断層で接する(木野ほか,1984)(第18図 78kb).なお,村田(1991)では高岡衝上断層を,大薮衝上断層としているが,これは本書でいう延岡衝上断層にあたる. 高岡衝上断層に沿って,断層によってブロックに分かれた内ノ八重層の玄武岩質火山岩類が,全体として南北に連なることが, 「宮崎」地質図幅(木野ほか,1984)で示されている. 玄武岩質火山岩類の上に重なる赤・緑色泥岩を鍵層として追跡すると, 玄武岩質火山岩類は2つの主要な断層である高岡衝上断層と東高岡衝上断層に挟まれて,より小規模な断層によって少なくとも7つのブロックに分かれている.玄武岩質火山岩類は,高岡衝上断層をフロアー衝上断層(floor thrust),高岡東衝上断層をルーフ衝上断層(roof thrust)とするデュープレックスを作ることが分かり,内ノ八重デュープレックスと名付けられた(村田,1991).

 内ノ八重デュープレックスは,ルーフとフロアーの衝上断層の間隔は約450 m,個々のホース(horse)の長さは500〜1000 m,ホースを境する衝上断層の変位量は150〜400 mと見積られ,後背地傾斜デュープレックス(hinterland-dipping duplex)と考えられた(村田,1991).従来,この白亜系内ノ八重層は,東傾斜の高岡衝上断層で古第三系日向層群の上にのるため,東から西に向かって衝上したと考えられていたが(竹下,1982;木野ほか,1984),デュープレックス内の衝上断層の変位方向から,このデュープレックスは北西から南東に向かう衝上に伴って形成されたことが明らかになった.このために,内ノ八重層が,延岡衝上断層によるナップ本体から離れたところにあるクリッペと考えられた(村田,1991).

 ここでは,本来,断面図でみられるはずの各ブロックの重複関係が, 平面的な地質図の上に表現されている.その理由は以下の通りと考えられる. 高岡衝上断層(延岡衝上断層)は,もともと水平に近いほど低角に北西から南東に向かう衝上で形成され,それに伴って内ノ八重デュープレックスが作られた.その後,この衝上方向と約45゜斜交して南北性の背斜構造が形成され,背斜軸の東側に位置する内ノ八重層は,斜めにめくれあがった.そのため,いわば斜めの断面が地質図に表現されたのである.高岡衝上断層は現在,東傾斜であり, 移動方向は見かけ上,正断層のように下降しているが,これは後の褶曲の影響である(村田,1991).

 デュープレックスは,海溝充填堆積物が底付け付加されるときの重要なメカニズムと考えられている(Silver et al., 1985;Sample & Fisher, 1986; Byrne, 1986).宮崎県の他地域に分布する四万十帯白亜系分布域にも, 多くの衝上断層が認められることから,デュープレックスがかなり存在するものと予想される.