4−8 日向層群の地質構造と主要な衝上断層
日向層群分布域には,乱雑層(メランジュ)が幅広く分布している.県北部西郷村荒谷付近で,日向層群荒谷層はメランジュとして一括されていたが,後述のように,低角な衝上断層で重なる泥岩の作るデュープレックスなどを除くと,メランジュの部分は,今まで言われていたよりも分布範囲が狭い(村田,1995).これは,低角なユニットとしての地層の連続性がとらえにくかったからと推察される.メランジュとされた地帯にも,低角の衝上断層が多く含まれているが, 多くの場合,地質構造把握に有効な“鍵層”がないと,低角な衝上断層は見落とされているものと思われる. また,本地質図に示された乱雑層の中には,ブロック化の程度が弱くて,砂岩泥岩互層や泥岩にすべきものが含まれていたり,含まれる砂岩ブロックが量的に少ないものも含まれており,地質構造の把握を誤って, 乱雑層として一括されてしまっているものがかなり含まれているものと予想される.メランジュは,ブロック化を受けるプロセスにより,造構性のテクトニックメランジュ,海底地すべりによるオリストストローム,泥ダイアピールによるダイアピリックメランジュの3種類が存在すると考えられている(狩野・村田,1998参照).荒谷層のメランジュは,詳細な小構造解析から,テクトニックメランジュという考えが示されている(坂井・勘米良,1981;坂井ほか,1984).
日向層群分布域では,砂岩優勢層や乱雑層・泥岩優勢層などが,構造的なユニットを作って,宮崎県北部・中部では北西方へ傾斜した衝上断層,宮崎県南部では西方又は北西方へ傾斜した衝上断層によって,繰り返し分布している.日向層群分布域では,衝上断層が基本構造を作っていると思われる.構造的なユニットを作る砂岩泥岩互層中には,軸面が北に傾斜した露頭スケールの褶曲がしばしば観察されるが(第20図 90kb),地質図スケールの褶曲はそれほど多くはない.
第20図 日向層群の砂岩泥岩互層中の褶曲
これらの衝上断層の中で,大規模と判断されるもののいくつかについて以下に述べる.なお,日向層群に特徴的に見られる赤・緑色珪質泥岩の衝上シートやデュープレックスについては,節を改めて4-9,10,11で述べる.
大薮衝上断層(野田・橋本,1958)は,椎葉村大河内付近で明らかにされたもので,北東方の「神門」図幅内へ延びる.そこでは,南郷村上渡川から,神門北方,諸塚村荒谷南方へ延びるとされている(今井ほか,1979).大薮衝上断層は,大河内付近ではその連続性が不明だったため,20万分の1地質図には表示されていない.大薮衝上断層は,神門北方では乱雑層優勢層と砂岩泥岩優勢層の境界の衝上断層に相当するが(村田,1996),荒谷南方では赤・緑色珪質泥岩の下底の衝上断層に近い位置に考えられており,その連続性については不確定な要素がある.日陰山衝上断層は,西郷村日陰山付近に分布する大規模な玄武岩質火山岩類の下底を切る衝上断層である(今井ほか,1979).
八峡衝上断層(八峡断層)は「神門」図幅地域で明らかにされ(今井ほか,1979),「尾鈴山」図幅地域で,砂岩優勢層の北縁の空野山付近を通るとされているものである(木村ほか,1991).空野山付近やその西方では,八峡衝上断層は20°〜30°程度と低角であるが,「神門」図幅地域や,「延岡」図幅地域では,それよりは高角なようである.
中之又衝上断層(木村ほか,1991)は,すでに述べた延岡市から西郷村珍神山,西都市烏帽子岳,西米良村上板谷まで延びる砂岩優勢層の,南東縁を限るものである(第17図 97kb).中之又衝上断層は延岡市から木城町塊所付近までは,25°〜40°NWの傾斜をもつが,烏帽子岳東方や西方付近では15°〜25°と低角になっている.烏帽子岳付近ではこのように低角になっていることから,中之又衝上断層の上盤の砂岩層が,下盤の砂岩泥岩互層,泥岩,乱雑層などを大きく切って分布する(木村ほか,1991).なお,後述するように,中之又衝上断層に沿っては,薄い赤・緑色珪質泥岩が挟み込まれている.小川衝上断層は,「尾鈴山」地質図幅で,北部コンプレックスと南部コンプレックスを境するとされた断層である(木村ほか,1991).大森岳断層(遠藤・鈴木,1986)は,須木村大森岳付近を通るほぼ東西性の断層で,木村ほか(1991)により,日向層群と日南層群の境をなすと考えられているが,本地質図では,日向層群内の断層と解釈している.
綾衝上断層(綾断層)(坂井,1985)は, 宮崎市北西方の野尻屈曲の北側で,砂岩卓越層の南東縁を限る断層である.綾衝上断層の下盤は日向層群山之口層の乱雑層である.綾衝上断層は,西都市桟敷野から綾町鷲巣,野尻町鵜戸原へ延び,北西に15°〜45°傾斜している.綾衝上断層の上盤の砂岩層は北東走向であるのに対して,下盤の乱雑層は南北走向から北北東走向であり,斜交している(木野・太田,1976).綾衝上断層の南方延長は,野尻屈曲の影響を受けて南北走向となり,高崎町温水付近へ達するものと思われる.なお,野尻町付近で,綾衝上断層を左横ずれに変位させる大規模な横ずれ断層が推定されているが(坂井,1985),前述の砂岩優勢層は,野尻屈曲によって曲げられて,高崎町付近へ延びるように見える.
岩屋野衝上断層は,宮崎市西方の野尻町紙屋から,高城町岩屋野を通り,山之口町まで南北に延びる(第21図 77kb).上盤は西側に分布する砂岩優勢の鰐塚山層であり,下盤は東側の乱雑層優勢の山之口層である(村田,1992).岩屋野衝上断層の傾斜は,60°〜70°Wとかなり高角であるが,これは,その東側に存在する南北性の背斜構造の影響であり,本来,もっと低角であったと考えられる.
五反田衝上断層(竹下,1982)は,宮崎市西方田野町から,青井岳を巻いて,三股町仮屋,都城市南方へ達する.五反田衝上断層の上盤は,乱雑層優勢の山之口層,下盤は砂岩優勢の鰐塚山層である.五反田衝上断層は,南北性の褶曲の影響を受けて曲げられており,また,都城東方では屈曲によって西側へ凹を向けたトレースを持っている(第21図 77kb).
大平衝上断層(斉藤ほか,1994)は,宮崎県南部の「末吉」図幅地域およびその周辺で,日向層群と日南層群とを境する衝上断層である.大平衝上断層は,串間市大平から,日南市酒谷,小松山東方を通り,北郷町北河内へ達するものと考えられる.大平衝上断層の上盤は日向層群の砂岩優勢層で,斉藤ほか(1994)により,日向層群の内ノ倉ユニットまたは,柳岳ユニットとされたものである.大平衝上断層の下盤は,日南層群の乱雑層優勢層で,日南層群の北部ユニットと南部ユニットである(斉藤ほか,1994).大平衝上断層の傾斜は,20°〜45°WまたはNWである.宮崎県内のこの地域の日向層群分布域には,田之浦ユニットの下限をなす二本松衝上断層,毘砂ヶ野ユニットの下限をなす四浦衝上断層,柳岳ユニットの下限をなす大矢取衝上断層が知られている(斉藤ほか,1994).