4−9 日向層群の赤・緑色珪質泥岩の衝上シート

 宮崎県北部の西郷村荒谷付近の古第三系日向層群の荒谷層には,赤・緑色珪質泥岩が含まれている.この赤・緑色珪質泥岩は,構造的なブロックとされ,周囲の地層はメランジュ(坂井ほか,1984)あるいは剪断された砂岩泥岩互層とされていた(今井ほか,1979).しかしながら,数層に分かれて分布するとされていたこの珪質泥岩は,実際には層厚40 mまでの薄い層が約10°Wの傾斜で,東西4 km,南北6 kmにわたって1枚の地層として連続することが確かめられた(村田,1995).さらに,この珪質泥岩は上限も下限も衝上断層で境された衝上シートとして存在し(第22図 32kb),上側の泥岩を主とするユニットと,下側の乱雑層を主とするユニットに挟まれて分布することが明らかにされた(村田,1995)(第13図 30kb).また,赤・緑色珪質泥岩の衝上シートは,南郷村神門北西方の阿切付近にも乱雑層優勢層に挟まれて(村田,1996)(第17図 97kb),また,北郷村宇納間北方では,砂岩優勢層と乱雑層優勢層の境界の衝上断層に挟み込まれて分布する.

 同様の赤・緑色珪質泥岩の衝上シートは,延岡市から南西方へ延びる砂岩優勢層の南限の中之又衝上断層(木村ほか,1995)に沿って,40 kmにわたってほぼ連続的に挟み込まれていることが確かめられている(村田,1997)(第23図 93kb,第24図 52kb).中之又衝上断層に沿って挟み込まれている赤・緑色珪質泥岩の層厚は,最大でも100 mであり,地層が薄いわりには,その連続性は非常によい.赤・緑色珪質泥岩の衝上シートは,この砂岩優勢層の内部でも,東郷町珍神山付近や(今井ほか,1979),西都市尾八重(木村ほか,1991),西米良村槙之口で,衝上断層に挟まれて産出する.門川町北部付近の,砂岩層と乱雑層の境界や,砂岩層の内部にも,また,小林市北方でも,乱雑層と泥岩に挟まれて,赤・緑色珪質泥岩の衝上シートが産出している.

 また,宮崎市西方高城町の日向層群分布域でも,赤・緑色珪質泥岩の衝上シートが岩屋野衝上断層や,五反田衝上断層に沿って挟み込まれている(村田,1992,1994a,b).この二つの衝上断層に沿う赤・緑色珪質泥岩の衝上シートは,数10mまでの層厚を持ち,それぞれ4 km程度連続する(第21図 77kb).なお,村田(1992)ではこの珪質泥岩は山之口層に含められているが,荒谷層と同様に,砂岩や乱雑層から区分されるべきものであろう.同様の赤・緑色珪質泥岩の衝上シートは,田野町から鰐塚山,串間市北方にかけての日向層群の,砂岩優勢層と乱雑層優勢層の境界の衝上断層や,砂岩優勢層の内部の衝上断層に沿って挟み込まれている.

 赤・緑色珪質泥岩は,玄武岩質火山岩類を伴って衝上シート状に分布することがあり,前述の宇納間北方のものや,阿切のもは玄武岩質火山岩類も含めてシート状に分布している.また,まだ確認されていないが,日陰山付近の大規模な玄武岩質火山岩類には,赤・緑色珪質泥岩が伴われている可能性がある.

 赤・緑色珪質泥岩の衝上シートは,中之又衝上断層や,岩屋野衝上断層,五反田衝上断層など,大きな岩質境界をなす衝上断層に沿って産出する傾向があり(村田,1992,1994a,1996),日向層群内の衝上断層の形成に,いわば潤滑剤的な役割を果たしたと思われる.しかしながら,赤・緑色珪質泥岩には層理面が明瞭に認められる場合がしばしばあり,内部で流動変形をした積極的な証拠は認められていない(村田,1994a).古第三系四万十帯でこの赤・緑色珪質泥岩が分布すれば,衝上断層が存在すると思って調査する必要がある.なお,日向層群内でも,赤・緑色珪質泥岩と玄武岩質火山岩類の衝上シートの産出する地帯と産出しない地帯がかなり明瞭に分けられる.中之又衝上断層よりも北西側は赤・緑色珪質泥岩などが産出するが,それよりも南東側では,門川町北方を除いて, 西米良村,須木村内では,赤・緑色珪質泥岩や玄武岩質火山岩類の産出は現在までのところ知られていない.また,野尻屈曲よりも南側の鰐塚山付近では,赤・緑色珪質泥岩や玄武岩質火山岩類は,頻繁に産出している.これらの赤・緑色珪質泥岩などの産出状況の相違は, 底付け付加の時のデコルマ層準の相違を反映している可能性がある.