宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
田毎の月

やまさき十三さん
JuzoYamasaki

1941年都城市生まれ。宮崎県立宮崎大宮高校、早稲田大学を経て東映テレビ映画制作所の助監督に。 1979年『釣りバカ日誌
(画・北見けんいち氏)』で漫画原作者としてデビュー。 89年、松竹より映画化され現在までに16作を数える人気作品に。 ほかに『初恋甲子園』、『おかしな二人』、『愛しのチィパッパ』など。

浜ちゃんは典型的な都城人。
南九州特有のユーモアが
『釣りバカ日誌』の原点かもしれません。

自由奔放な営業マン「浜ちゃん」と、彼が務める建設会社社長「スーさん」の温かな笑いを描く『釣りバカ日誌』。原作者のやまさき十三さんは、その笑いの原点は
宮崎の風土にありそうだと語ります。千葉県浦安市のご自宅を訪ねて、創作にまつわるエピソードなどをうかがいました。

『釣りバカ日誌』の主人公、浜ちゃんは都城出身です。その自由奔放さに憧れる人は多いと思いますが、やまさきさんご自身がモデルなのでしょうか。

やまさき‥浜ちゃんは典型的な都城人ですね。のんびりしてて、競争向きではなく、都会では生きにくいかもしれないけど、案外こういう時代だからそのキャラクターが貴重で、周りからも愛されてしまう。私は浜ちゃんそのものではありませんが、都城人、宮崎人の血が共鳴するところはあって、そういうところが受け入れていただいているのかなと思います。

あのユーモアも宮崎らしさを感じます。

やまさき‥そうですね。宮崎・鹿児島を含めた南九州特有の明るさというものがあって、われわれ、かなり深刻な話をしていても、どこか笑いにもっていこうとしますでしょう。以前、長野県の人と話していて気づいたのですが、われわれのような笑い方はしないんです。たとえば、ある人がパチンコに熱中して、とうとう飼っていた牛を売ってしまったと。そういう噂話をしているとすると、長野や東京の人は「バカだね」で終わってしまうのですが、宮崎の人は「そら、ベブもぐらしいが(牛もかわいそうだ)」とオチをつけて笑おうとする(笑)。こういった諧謔味は南九州特有のものだと思います。これが青森くらいまで行くと、同じような笑いがあるんですね。あるいは環境的な厳しさが、かえって笑いの風土をもたらすのでしょうか。旧薩摩藩は決して豊かではありませんでしたが、西郷隆盛なども逆境になると冗談ばかり言っている。そういう伝統かもしれませんね。

やまさき十三さん

野球少年から映画青年へ

大学を卒業後、東映の助監督を10年間務めてらっしゃいますが、もともと映画畑を目指しておられたのでしょうか。

やまさき‥都城の中学を出て、宮崎市内に下宿して大宮高校に入るのですが、その頃は野球少年だったんです。六大学に入って神宮でプレーし、そのまま社会人野球に入るのが夢でしたから。ところが高校2年生の時に腰を痛めてその夢は挫折。さて、どうしようかと考えて一転、映画の道を目指そうということで、映画を学べる早稲田の第一文学部演劇専修に入りました。当時、※ヌーヴェル・バーグの衝撃的な映画が続々と出てきていまして、面白い時代ではありました。

その頃、影響を受けた映画はありますか。

やまさき‥『ピクニック(1955・米)』、『恐怖の報酬(1953・仏)』、『勝手にしやがれ(1959・仏)』、『抵抗(1956・仏)』といった作品は、時代性もあったのでしょうが熱中しました。特にヌーヴェル・バーグは、私の青春だったと思います。

当時から脚本家をめざそうと。

やまさき‥いえ。その頃はもう自信満々といいますか、自分の才能にほれこんでいましたので(笑)、監督になるつもりでした。ところが大学に入ってから、映画の世界がとんでもなく狭き門であることを知るわけです。卒業時に松竹を受けたのですが、2000人受けて3人しか通らない。私は落ちてしまって、東映にはフリーの立場で入ることになります。そこで10年間、助監督をやって監督も目の前だったのですが、今度は労働争議で先頭に立ってついに退社。これが二度目の挫折といえるかもしれません。

『釣りバカ日誌』の誕生

やまさき‥そうこうしているうちに「映画で脚本を書いていたのなら漫画の原作も書けるだろう」ということで、小学館から声がかかって『釣りバカ日誌』がスタートするのですが、実は釣りはハゼ釣りしかやったことがなかった。ハゼ釣りからようやく船に乗って東京湾の五目釣りを始めたばかりの頃で、「釣りの詳しい話は書けないが、釣りにのめりこむ人の話なら書ける」と編集者に話すと、それでOKと。ですから『釣りバカ日誌』は釣り漫画ではなくサラリーマン漫画だといわれますけど、最初はやはり釣り漫画として始まったわけです。後で映画化の話になった時、監督は同学年の栗山富夫さんでした。2000人から3人、松竹に受かった組で。縁があるものですね。

『釣りバカ日誌』が描く鈴木建設は、浜ちゃんのような社員を許容するゆとりがあるいい会社ですね。やまさきさんにとって理想の会社像なのでしょうか。

やまさき‥サラリーマンは一所懸命やっている時はいいですけど、エンディングが割に合わないじゃないですか。上に行けば行くほど、そういう傾向があります。たとえば専務になって、それだけで十分立派なのに今度は副社長と争って敗れれば、それまでの人生が無価値のようなことになってしまう。そういう価値観だけではつらい。そこへ釣りなり、浜ちゃんなりの別の価値観やチャンネルを割り込ませることによって、ちょっと楽になろうよと。会社の価値観と心中する必要はないよと。そういうメッセージを込めているつもりです。

本日はありがとうございました。

5月11日、千葉県浦安市のご自宅にて

山崎さんと大物イシダイ

毎年、春と秋の二回は帰郷して、南郷水島などでイシダイ釣りに興じているやまさきさん。『釣りバカ日誌』には都井岬沖のヒラマサ釣りのシーンも登場した。写真は屋久島で釣った自己記録の大物イシダイ。

※ヌーヴェル・バーグ
「新しい波」を意味するフランス語で、1960年代、主にフランスの革新的な監督たちがもたらした映画の新潮流。代表的な作品として『勝手にしやがれ』『大人は判ってくれない』など。