宮崎県では、当時の松形祐堯知事のお声掛かりで県内に木材、特に県産スギ材を対象にした試験研究機関の創設が考えられていました。平成8年度から委員会を作って本格的な検討が開始され、私が委員長を務めました。そして平成12年3月、私は九大を定年退官し、ついにどっぷりと宮崎県にはまり込むことになったのです。
平成12年5月1日、当時の宮崎県田所林務部長、原田木材振興課長、馬原対策監、そして私と私の補佐をしてくれる県職員上杉基君等関係者が県庁林務部内の一室に集まり、入り口に「木材加工研究センター(仮称)設立準備室」の看板を掲げ、準備室のオープンをささやかに祝いました。それから約1年間、私は上杉君と席を並べ、利用技術センター設立に向けて作業を進めたのでした。
研究所の名称は、「宮崎県木材利用技術センター」に決定されました。これは「加工」よりも広い意味を持つ「利用」にすること、学術研究のみでなく実際に役立つ技術開発の実行に取り組むのだ、という松形知事の強い意向を受けたものでした。私も「利用技術」という表現に賛成でしたが、「研究」という言葉を残したく思い、英語名の中にそっと隠してResearchを入れることにしたのでした。 |